「金ドラ」以前のTBS金曜22時
TBSの金曜22時枠は、1965年頃まで1~2回完結形式の文芸主体ドラマが30分程度、放送されていました。(前後篇形態の2回連続ドラマが多数ありましたが、膨大なため今回のリストからは除外しています。)その後、1965年から前の21時30分スタートの「ザ・ガードマン」が22時半まで放送されるようになり、22時半からは大阪製作の視聴者参加番組「夫婦善哉」が放送されました。(1997/11/23)
「金ドラ」のスタート
人気ドラマ『ザ・ガードマン』も終了した1972年。TBSは20時台から22時台までをドラマベルトとして構成することとしました。そして22時台は「金曜ドラマ」と銘打ち、20時台、21時台のドラマとの差別化の視点から大人向けをねらったビデオ制作のドラマをオンエアしていくことになりました。
開始当初の「金曜ドラマ」は、通常のドラマ枠のひとつに過ぎず、ただ大人向けのドラマ枠という程度の認識だったと考えられます。そのため最初の「金曜ドラマ」である『家族日誌』放送開始当日の新聞広告を見ても「金曜ドラマ」という名称はどこにも出てきません。
この枠を担当することになった大山勝美プロデューサーをはじめとしたスタッフは、この枠に「時代の半歩先を先取りしたテーマ性」を次々と投影。また、ときにテレビドラマとしては前衛的ともとれる演出・映像手法をとりいれた意欲的な描写の作品を続々と投入し次第に次第に「ドラマのTBS」の代表的な放送枠といわれるまでに成長していきます。
この方向は1975年から裏番組にABC「必殺シリーズ」が移行されたことなどで、よりコンセプトとして明確化し、「大人向け」だけでない、ビデオドラマとしての「より濃密な」心理描写、より「繊細な」映像描写の作品づくりを志向させていくことになったと思われます。(1997/11/23、2001/01/08)
「金ドラ」中止とニュース番組への転換
1980年代中盤からのドラマ低迷期に、「金曜ドラマ」は、ドラマ不調に対応する動きとして巻き起こった「ニュース戦争」ともいわれた報道強化の流れをうけて、いったん終了。この放送枠は「ニュース22・プライムタイム」「ニュースデスク'88」となりました。(1997/11/23)
「金ドラ」復活から今日まで
しかしスタートしたニュース番組は不調で、次第に報道番組では描ききれない「ドラマでこそ描ける世界」の良さが認識されるところとなり、1989年から再び「金曜ドラマ」がこの枠に復活。今日まで作品を提供しています。(1997/11/23、2001/01/08)