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ドラマ 詳細データそれからの武蔵

テレビ大賞特別賞受賞作品。巌流島で宿敵・佐々木小次郎を倒したとき、武蔵はまだ30歳だった!62歳の生涯を送った武蔵の、巌流島の決闘以降はどのような人生を送ったのか?!剣豪・武蔵の知られざる後半生を壮大なスケールで描く大河ロマン。【以上、時代劇チャンネル広報資料より引用】テレビ東京(東京12チャンネル)が正月に恒例に放送するようになった24時間時代劇の第1作となる。前年放送し、好評だった劇場映画「宮本武蔵」の続編という位置づけで制作された。番組に関する営業権を買い切った広告代理店・東急エージェンシーの創立20周年にあたる。長年、テレビ作品を手がけて来なかった沢島忠監督の数少ないテレビ監督作品。沢島監督は後年、自作を振り返った中で本作についても触れている。「テレビは最初は、錦兄がどうしてもやってくれというので、『破れ新九郎』(1978年、テレビ朝日)の第一話だけやったんです。それから『赤穂浪士』(1979年、テレビ朝日)です。最初の「殿中松の廊下」から、赤穂へ知らせが行くって。大石が知るまでを一、二話で撮った。それから城明け渡しを二本撮った。それから最後の「南部坂雪の別れ」から「吉良邸へ討ち入り」で飛び込むまでを撮りました。それでまあ、錦兄との約束を三分の一ぐらい果たしたなという所ですね。『それからの武蔵』(1981年1月、テレビ東京)というのをやりました。これは十二時間ドラマの最初のやつです。これもはじめの一話二計と真中の二話そしてラスト武蔵の最期を監督しました。武蔵の最期。死ぬところを撮りました。これ以外テレビはやってません。もっときっちり撮るんでしたらやりたい。だから、最初の一、二話とかね。ああいうのはがっちりやれますから、やりましたけど。みんなは、「テレビ撮る時はこうして早く撮るけれど、本篇(映画)撮る時はちゃんとやる」って言ってるけども、テレビばっかり撮ってたのが映画撮ると、もうひどいのになってます。これは、馴れというものはなかなかもとにもどらない。人間ってのはそうなれないんですよ。だから僕はいましめとしてやってこなかった。脚本のほうもありません。【この項、書籍「沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね」(著:澤島 忠、2001/06/02第1刷、ワイズ出版刊)より引用】」
キー局 12CH 放送曜日 放送期間 1981/01/02~1981/01/02
放送時間 12:00-24:00 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 12時間超ワイドテレビ映画
主な出演 萬屋錦之介中村錦之助初代))、中村嘉葎雄辰巳柳太郎江波 杏子内藤 武敏宇津宮雅代宇都宮雅代)、三宅 邦子山谷 初男梶 芽衣子酒井和歌子音無美紀子岡本富士太島 英津夫亀石征一郎加藤  嘉仲谷  昇藤巻  潤小林 昭二峰岸  徹御木本伸介平田 昭彦竜崎  勝龍崎  勝)、目黒 祐樹若林  豪鹿島 信哉立石美由紀石田美由紀石川ミュン)、(ナレーター:鈴木 瑞穂
主な脚本 沢島 正継沢島  忠澤島  忠)、岡本 育子
主な演出 (監督:沢島 正継沢島  忠澤島  忠))
原作 小山 勝清小山 勝悟)「それからの武蔵」(集英社文庫刊)より
局系列 TXN
制作会社 中村プロダクション、東京12チャンネル
企画 神山 安平
撮影技術 伊佐山 巌

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