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ドラマ 詳細データ天外の親バカ子バカ(天外の親バカ子バカ(1))

船場の商店の親子が繰り広げるコメディー。商売には厳しいが、一人息子にやたらと甘い利平と、おつむは弱いが、心根は人一倍優しい貫一。毎回、貫一のとっぴな行動に周囲が振り回されるという涙と笑いの人情ドラマ【以上、讀賣新聞大阪本社文化部・編「上方放送お笑い史」(読売新聞社刊)より引用】。好評だった舞台劇のドラマ化。YTV初のVTR録画による放送。アホぼん役で藤山寛美が人気を博した。隔週に二本ずつ収録という強行スケジュールだった。関西地区では視聴率50パーセントを記録したという。「天外座長のもと新喜劇が全盛期を迎えようとした時期は、テレビが各家庭に普及しだしたころと重なる。1958年には読売テレビ、関西テレビが相次いで開局、大阪も本格的なテレビ時代に入った。当然のことながら、人気劇団の新喜劇にはテレビドラマ出演の声がかかる。天外は様々な理由を上げてこれに抵抗するが、やがて折れる。1959年12月、劇団として出演した『親バカ子バカ』が読売テレビで始まり、驚異的ヒットを記録した。『親バカ子バカ』出演を勧めたのは、天外の古くからの友人の阿木翁助だ。「『親バカ子バカ』をやる時は、天外さんは嫌がったんです。頼まれて、私が口説いたんですが、『テレビをやったら、芝居に客が来なくなる』というようなことを言ってました。面倒くさいとも思ったでしょう。芝居で毎月、1、2本新作出して、その合間に毎週テレビですから。テープに吹き込んでいる横で書き取ったり、ガリを切ったりする人がいましたからね。そうしないと間に合わないんです。一般の大評判とは裏腹に、『親バカ子バカ』には厳しい批判の声もあった。<「馬鹿や気狂いを出すと、喜劇は一番やり易い。それだけで、客は笑うからだ。そういう意味では、いま評判の『親バカ子バカ』などは、大変イージーだと思う」飯沢匡氏の意見である。これに対し、そもそもの企画者である阿木氏は、「寛美のアホさは、単なる低能ではなく、大人の中にある子供のこころ、最も素朴な人間の善意を現そうとしている。……真実を語るのはアホだというテーマなのだ」と説明している>(『週刊文春』1960/08)【この項、大槻茂著「喜劇の帝王 渋谷天外伝」1999年、小学館文庫刊より引用】」提供:東洋工業。
キー局 YTV 放送曜日 放送期間 1959/12/08~1960/04/26
放送時間 20:30-21:00 放送回数 21 回 連続/単発 連続
主な出演 渋谷 天外2代目)(館  直志舘  直志)、藤山 寛美曽我廼家明蝶曾我廼家明蝶)、曽我廼家五郎八曾我廼家五郎八)、石河  薫初代)、島田 文雄石浜祐次郎小島 秀哉中村あやめ石島 康代二代目石河  薫)、花村美津子酒井 光子高田  亘小島慶四郎
主な脚本 (作:舘  直志館  直志渋谷 天外2代目)))
主なプロデューサ 矢部  章
主な演出 香坂 信之、(フロアディレクター:山口 洋司
局系列 NNN
制作会社 YTV
企画 阿木 翁助
音楽 南  安雄

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