• 水色
  • 緑
  • 紫
  • オレンジ
  • 赤
  • 小
  • 中
  • 大

ドラマ 詳細データ待ったなし

関東大震災直後の東京が舞台。家出して上京した娘と将棋の天才少年、気のいい大工が主人公の下町人情コメディ。脚本の西条道彦氏は後年、本作の苦労談を自著で記している。「通常のドラマの倍ほどの時間と労力が必要だった。相沢英也プロデューサーからもたらされた企画書によると、舞台は関東大震災直後の東京・下町。親のすすめる縁談をきらって山形県天童から家出して上京した娘(新珠三千代)が三度のめしより将棋が好きという設定。この娘が、震災孤児で将棋の天才少年(中村浩太郎)、将棋気違いの大工(川崎敬三)と知り合い、ひょんなことから孤独な三人が長屋でともに寝起きするようになる――といういわゆる<下町人情コメディー>。新珠さんはプロの指導をうけて将棋の腕をあげ、日本将棋連盟から初段の免状をもらうという副産物までついて上機嫌だったのだが――。まず私が気が重くなったのは、新珠さんを二十三歳の娘の役で書いてくれというプロデューサーの注文だった。新珠さんといえば、その直前までつづいた花登筺さんの『細うで繁盛記』という大ヒット作のヒロインである。三浦綾子原作の『氷点』では母親役(芦田伸介さんの奥さん役)で、これも爆発的なヒットだった。視聴者はもちろん、私自身にも強烈なイメージがある。舞台なら、いつまでも年をとらない〝奇跡の人〟といわれる人たちがいる。でもテレビはアップがある。若い人がふけるのは何でもない。若くなるのも十歳程度ならいいだろう。いくらなんでも二十と……。だが、お会いしてみると年齢などどこかへふっとんでいた。私の前ですでに二十三歳を演じておられるではないか。望んだイメージぴったりの文学少女だった。さすが、当時連続ドラマのエースといわれた役者さんである。言葉遣いの美しさは女優の中でも抜群で、そういう女性に私はよわかった。「私がたたなくてもドラマを面白く作ってくださればいいんですから」といいきったスターはめずらしい。その<謙譲>も私ごのみだった。だからその点は、私の不安は杞憂となったのだが、どうにもならないのは時代背景だった。大震災直後の下町など私はまるで知らない。太平洋戦争直後の東京山の手なら知っているが、全然時代がちがう。一緒に暮らしていた両親に聞いても、東京に出て来てきたのは昭和になってからだから詳しいはずがない。知人の年寄りをさがして聞いたり史料をあさったりしながら書いたし、もちろん時代考証家もついてくれたのだが、放送直後から投書が殺到した。こまごまと重箱のすみをつつくような「あんなことはなかった」というたぐいのものである。もちろん勉強はした。が、企画がきまって第一回の録画までに一ヵ月もあったろうか、ドラマの構想をねるよりそのほうにはるかに時間をとられた。私ばかりではない。演出の太田匡彦さんをはじめ大道具・小道具・衣装・結髪等々、スタッフ全員がキリキリ舞いだった。時代物をやるなら、その時代の生き残り、生き証人が視聴者の中にいなくなった頃をみはからってからやらなければ、とても太刀打ちできない。【この項、文:西条道彦氏(西条道彦著「TVドラマはこう書く!」(1998年、映人社刊)より引用)】」【参考資料:書籍「役者ひとすじ 我が人生&交遊録」(工藤堅太郎著、2014/10/26第1刷発行、風詠社発行・星雲社発売)】
キー局 MBS 放送曜日 放送期間 1971/04/06~1971/06/29
放送時間 22:00-22:56 放送回数 13 回 連続/単発 連続
番組名 テレビスター劇場
主な出演 川崎 敬三新珠三千代中村浩太郎三代目中村扇雀)、紀 比呂子ひし美ゆり子黒柳 徹子春川ますみ藤木  悠武智 豊子武知杜代子)、工藤堅太郎
主な脚本 西条 道彦西條 道彦
主なプロデューサ 相沢 英也相澤 英也
主な演出 太田 匡彦太田 正彦
原作 金川 太郎「勝負師」
局系列 ANN
制作会社 東宝、MBS
HP

Tag Cloud

新珠 将棋 川崎敬三 新珠三千代 関東大震災 天才少年 中村浩太郎 西条道彦 大工 イメージ 視聴者 家出 舞台 上京 下町人情コメディ... 時代 史料 太刀打ち 相沢英也 書く ドラマ ふける 太田匡彦 構想 若い 聞く 殺到 東京・下町 生き残り アップ

リンクパーツ

直リンク用URL ヘルプ
引用パーツ ヘルプ


インフォメーション

クチコミ

ユーザレビュー

ドラマデータ提供