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ドラマ 詳細データ不知道(フウチイダオ、プウチイタオ)

芸術祭参加作品。戦後に生まれ、戦争を知らない男の子と戦争の傷痕を背負って生きる中国人との交流を描く。日本軍に強制連行され日本にやってきた劉連仁さんの実話をもとにドラマ化。渥美清が劉連仁役に扮した。後年、演出を手がけた守分寿男は自著で記している。「1962年11月、自分が演出をしたテレビドラマが初めて全国放送されました。強制連行され北海道の炭鉱から脱走した中国人劉連仁さんの事件をヒントにしたドラマです。私は当初、題名をずばり「りゅうれんじん」とし、開拓地の子供たちとの出会いや交流を軸にしたヒューマンな美しい映像詩にしたいと思っていました。ところが、脚本を依頼した小説家の山川方夫(まさお)さんは、「主人公を英雄として描けば、そえだけの話で終わる。戦後十三年間も山野を逃げ回った愚かさ、こっけいさ、かなしさを描くことで逆に、平和のなかの日常に潜む私たち自身のゆがみを照らし出したい」と言います。ドラマで大切なのは、「今」を浮き上がらせること――。山川さんはそうも説明してくれました。こうしてドラマは、「美しい映像詩」という大枠を残しながらも、喜劇タッチで描かれました。ただ、実名は使えなくなり、タイトルを中国語の「不知道(プー・チー・タオ)」に変えました。主人公だけでなく日本人もまた、進むべき道を知らない、との意味が込められていました。主役は、イメージが固定していない新鮮な人をと、ほとんどドラマに出ていなかった渥美清さんにお願いしました。渥美さんはロケの半月前からヒゲをそらず、ふろにも入らず、こっけいで不気味な役を体当たりで演じてくれました。私はこのドラマの前年、イカ釣りの仕事のために学校に行けない道南の中学生の生活を追ったドキュメンタリー「いかを釣る少年」を手掛け、民放祭銀賞をいただきましたが、今度は、「虚」の世界であるドラマづくりで山川さんから、新しい視点を学びました。当時、私は28歳。しかし、4歳上の山川さんは3年後、交通事故で他界しました。あまりにも若過ぎる無念の死でした。【この項、文:守分寿男氏(守分寿男著「北は、ふぶき-続・テレビドラマの風景」(2017/11/15、かもがわ出版刊)より引用)】」「近鉄金曜劇場」に先だって一度放送されたという記録があるが日時不明。【参考文献:守分寿男著「北は、ふぶき-続・テレビドラマの風景」(2017/11/15、かもがわ出版刊)】
キー局 HBC 放送曜日 放送期間 1962/11/30~1962/11/30
放送時間 20:00-21:00 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 近鉄金曜劇場
主な出演 渥美  清末吉 敏男平山  清平山 せい)、菅  二郎今福 正雄今福 将雄)、日野 道夫日岸喜美子館  敬介佐々木すみ枝佐々木すみ江)、
主な脚本 (作:山川 方夫
主な演出 清水 洋三守分 寿男
局系列 JNN
制作会社 HBC
HP

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