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ドラマ 詳細データオロロンの島

第16回芸術祭賞受賞作品。北海道の離島・天売島を舞台にした作品。「主演の姉弟は現地の子どもを起用した。【この項、文:のよりん】」1962/01/26、同じ放送枠で再放送された。本作で演出助手を務めた守分寿男氏は語る。「小南さんは私を呼んで、静かに言った。「どうも自分は、ビデオカメラにむいていない。これからは少数精鋭のスタッフに絞ってフィルムで仕事をする。ビデオカメラの生かし方は君が研究するように」そしてフィルムによるテレビドラマの構想を熱っぽく語った。「北海道の北西、日本海に浮かぶ天売島、美しいこの島の北側にはカゲと呼ばれる絶壁がそそり立っている。そこは海鳥の天国、いろんな鳥が営巣している。その中にはウミガラスとも呼ばれ、日本ではここにしかいない珍しいオロロン鳥が数多く飛び交い、崖で休み、そして卵を抱いている。その島と島の子供とのふれあい、心温まる交流をテレビドラマで描きたい」フィルムを使って、こんな遠いところでロケをする以上、予算的には東京から呼べる俳優は僅か2人、島の滞在は2日しか許されないという。気が遠くなるような話だった。天売島へ行くには小さな連絡船で波の静かな日を選んで渡るしかない。早速、配役のタレント交渉に入った。その結果、島の先生には矢代京子さん、風船売りの老人は若宮忠三郎さんに決まった。女先生が島にきてロケをする日は、夏休みに入っているため、島の全校生徒40名ほどに登校をお願いした。主役になるのは5歳の男の子、その姉の役は小学校6年生の女の子。オーディションで選んだ。ドラマの設定は、両親が出稼ぎに出て不在、残された二人の子供を中心にしてドラマが展開する。ドキュメンタリーではない。脚本(松山善三・岩間芳樹)には全編台詞が細かく書き込んである。5歳の子供は、私たちが泊まった宿の子供、佐賀大一(ヒロカズ)君に決まった。野性的で気の強い子供だった。子供の動きはまず私がやって見せ、ヒロカズ君が真似をする、筈だったが、彼は気が向かないとテコでも動かなかった。困ってポケットマネーの十円を出してお小遣いと言って買収した。次第に値上げして最後は百円になった。それを見たお父さんから、子供をお金で釣るようなことはしないで欲しいと強く抗議をされて閉口した。島の一本道に土埃が舞い、群生したイタドリが風に鳴る。その向こうにキラキラ光る海があって、目の前に焼尻島、その遥か向こうの水平線に、淡くかすんで北海道の海岸が見えている。のどかで美しい風景のなかで、秒刻みの、目が回るような忙しい仕事が続いた。朝は毎日5時に起きて、その日の昆布漁があるかどうか確認する。島の電気は自家発電なので夜8時に消える。台所のローソクの灯かりだけが頼りになる。僅かな灯かりの下で翌日のロケのスケジュールと、必要なエキストラの数、小道具、持ち道具などを洗い出し、村の人たちと確認する。遅い日は深夜12時を過ぎることも珍しくなかった。のどかで美しい風景のなかで、それこそ戦場のような仕事が続いた。「なにが少数精鋭だ!」と私は歯を食いしばって呻いた。何度、演出の小南さんを海に放り込みたいと思ったか知れない。ロケは約一ヶ月続いた。大きな誤算は、ロケハンのときまで空を覆うくらい飛び交っていたオロロン鳥がロケに入った時には、すっかり姿を消していたことだ。あんなにいたオロロン鳥は何処へいったのか?島の人たちが気の毒そうに教えてくれた「オロロン鳥は渡り鳥だよ…」取り返しのつかない失敗だった。怪我をして飛べなくて残っていた二羽の鳥をなんとか確保して、とりあえず寄りのカットに備えた。小南さんは、オロロン鳥の消えた断崖を見上げて呟いた。「逆光で撮ればカモメもオロロンに見えるかも知れない」。そんなある日、雑貨屋の奥の棚に茹で小豆の缶詰が三つあるのに気がついた。一つ買おうとする私を制して、小南さんが三つ買って後で一緒に食べよう、と言った。スタッフ、村の人たちと打ち合わせを終えて部屋に戻ってみると、小南さんはすでに寝ていた。枕元には空になった缶詰が三つ転がっていた。翌日は女先生の学校のシーンを撮影するスケジュールになっていた。夏休みだったが、島中の生徒が登校してきた。矢代さんも連絡船で島に入った。撮影が快調に進んでいくうち、肝心の小南さんの姿が消えた。いくら待っても帰ってこない。皆で探すと、隣の教室の床に横たわっている。腹痛のため起きられないという。私は茹で小豆の食べすぎだと喚き、小南さんは疲労のせいだ。と言いはった。5歳のヒロカズ君の前で私は笑い、飛び跳ね、寝転がり、走り、止まり、空を見上げて出稼ぎに出ている両親のことを思って目を潤ませる。私の身振りをヒロカズはじっと見つめていた。機嫌の良い時には、ヒロカズ君は私たちの想像を遙かに超える動きで生き生きと表現して、スタッフを驚かせた。フィルムカメラは、それらの各カットを白黒のトーンを調整し修正しながら焼き付けていた。画質の悪さが、かえって作品の世界にリアリティを与えているのだった。『オロロンの島』はドキュメンタリータッチのテレビドラマとして高く評価され1961年度芸術祭大賞を受賞した。【この項、「民放くらぶ」第89号(2008/03発行)より引用】」なお、一部資料では、甫喜本 宏の演出と記載されているが誤り。【参考文献:「民放くらぶ」第89号(2008/03発行)、「テレビドラマ」(雑誌、ソノブックス社刊)1962年2月号、守分寿男著「北は、ふぶき-続・テレビドラマの風景」(2017/11/15、かもがわ出版刊)】
キー局 HBC 放送曜日 放送期間 1961/10/27~1961/10/27
放送時間 20:00-21:00 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 近鉄金曜劇場
主な出演 萬谷よし子万谷よし子万谷 圭子才谷よし子)、佐賀 大一佐賀 太一佐賀 丈一)、矢代 京子戸川 暁子戸田 尭子)、若宮忠三郎若宮 大祐)、米倉 麗子菅原 澄子末吉 敏夫HBC放送劇団
主な脚本 (作:松山 善三岩間 芳樹
主なプロデューサ 小南 武郎
主な演出 小南 武朗小南 武郎)、(演出助手:大坂 六郎大阪 六郎)、守分 寿男中村 貞雄)(スクリプター:小田島敏子
局系列 JNN
制作会社 HBC
音楽 広瀬 量平廣瀬 量平
撮影技術 (技術主任:佐藤 豊次)(カメラ:伊藤 哲夫勝田 裕正)(ライト:仁尾  繁白井 精一平山 康勝)(編集:高橋  勤)(現像:佐々木昭悦
HP

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