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ドラマ 詳細データ赤ちゃん誕生

若い夫婦の赤ちゃん誕生にまつわる事件や人物との交流から、人生の哀歓をユーモラスに描く。主演の児玉清は本作で共演した山茶花究さんの記憶が鮮明に残っていると自著で振り返る。「NHK名古屋放送局収録の帯ドラマ『赤ちゃん誕生』は水野久美さんとの夫婦役で、僕の父親役が山茶花さんであった。ショックな出来事が本番第一日目に起った。父親の山茶花さんと息子の僕が二人で話をするシーンが冒頭のVTR撮りで、ドライ、カメリハ、ランスルーと順調に進み、さあ次はいよいよ本番ということになった。問題はこのときに起きた。フロアを担当するADが「さあ、本番です、三十秒前から入ります。時計スタート」と叫んだのだが、稽古の間ずっと手にしていた台本を一向に離そうとしない山茶花さんに、「先生、本番行きますから、台本を隠してください」とさらに大声をあげたときであった。山茶花さんは目をぎろりとADに向けるや、悠揚迫らぬ落ち着いた、しかしドスの利いた声で、「そう簡単に、君らの思うように行ってたまるか」といったのだ。スタジオ内はしーんと静まりかえった。山茶花さんは言葉を続けて「そう簡単に都合よく物事が運ぶなんて思うなよ、こちらの都合ってものがあるんだから」。時計はストップした。「では暫くの間、時間を空けて三分後に本番行きまぁーす」その場をとりつくろったADの言葉に、現場は一斉に山茶花さんの動きを窺う形で時が過ぎるのを待った。三分が経過し、「では本番です」というADの言葉がスタジオ内に谺(こだま)した。しかし山茶花さんはしらん振りといった様子、ADの言葉を無視して台本を離さない。「先生、本番行きます」とお願いするADにぼそりと言った答えは同じく「そうはお前らの都合通りに行ってたまるか」であった。以後、何度も繰り返される同じ問答に、ついにたまりかねてサブからディレクターとプロデューサーが現場へと降りてきた。この日も朝から、山茶花さんの周りにはウィスキーの芳香が漂っていた。長い協議を重ねた結果、どうしてもセリフを覚えられないという山茶花さんには台本を手元に置いたままでセリフを読んで貰い、なるべくアップの画像で捉え、引きの絵のときは台本を見えないようにすることで、これからの本番をすべて処理する、ということになった。帯ドラマとしては収録がどうしても時間に追われ、切羽詰まった状態でどんどん消化して行かねばならず、苦慮した揚句の窮余の一策であった。話し合いの一部始終を黙って聞いていた僕に、解決策が決ったあとスタッフが皆それぞれの持ち場に散ったのを見て、山茶花さんは「情無い奴だと軽蔑しただろうね。役者もこうなっちゃおしまいさ。真似しちゃだめだよ」と、それまでとはまったく違ったやさしい顔でささやかれたのだった。僕は真っ赤に充血した山茶花さんの目をただ見つめて「ハイ」と小さくうなずくだけであったが、収録の日々が続く中で事の次第がわかってくるにつれ、壮絶な山茶花さんの病との闘いに、言葉を失するほどのシンパシィを抱いたのだ。糖尿病と肺結核ほど相性が悪い病はないということを知ったのもこのときが最初であった。結核の治療のためには栄養を摂取しなくてはならない。しかしそれは糖尿病にとっては致命的となる。山茶花さんは激しい二つの病状に挟まれて、まさに地獄のといった苦しみを味わっていたのだ。しかも収録語、ON AIRされた番組を見て再度絶句した。台本を手に演技しているのに、まったくそれを毛ほども感じさせない見事な父親役であったからだ。たしか、このNHKの番組を最後に、翌1971年の3月、山茶花さんは黄泉の国へと旅立たれたのだ。【この項、児玉清著「負けるのは美しく」(集英社文庫刊)より引用】」
キー局 NHK 放送曜日 月~金 放送期間 1970/02/02~1970/02/13
放送時間 21:00-21:30 放送回数 10 回 連続/単発 連続
番組名 銀河ドラマ
主な出演 児玉  清水野 久美山茶花 究中畑 道子小泉  博殿山 泰司丘 みつ子森本 治行森本 レオ)、伊藤 友乃天野 鎮雄柳   有岡田 百也
主な脚本 土井 行夫
主な演出 伊神  幹伊藤 豊英
原作 林  房雄
局系列 NHK
制作会社 NHK(名古屋放送局)
制作 安井 恭司
音楽 宇野誠一郎

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