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ドラマ 詳細データこの謎は私が解く ブロンズ像X 前編・後編(このなぞは私が解く)

放送当時の朝日新聞に本エピソードのロケ隊随行記が掲載されている。「最近のテレビ番組にはロケが多い。ほとんどが1ヵ月に一度くらいはフィルム持参で遠くへ出かけていく。といっても映画のロケ隊と違って二十人前後の小部隊が多く、日程もつまっているから強行軍の連続だ。その一つ、ラジオ東京テレビ『この謎は私が解く』(木曜夜8・00-30)のロケ隊にくっついて、三浦半島湯壷での撮影ぶりをのぞいてみた。一行が東京を出発したのは十四日の深夜二時。十八日と二十五日に放送する『ブロンズ像X』前後編のロケが目的だ。話は、岬の上の別荘に置いてあったブロンズ像の盗難事件をめぐる海と陸とのミステリー。屋外の場面はどうしても現地撮影でないと間に合わない。メンバーは西村ディレクター以下、演出一人、カメラマン三人、美術二人にタレント六人の総勢十三人である。真夜中の出発というのも変わっているが、これも時間的に余裕がないためだ。十八日の本番の日は午後三時から全員がスタジオ入りする。これに備えて十七日は夜十時から立ちげいこ。十六日も夜十時から本読みをしなければならない。撮影は前後編を通じて五十数カット(放送時間にして約二十分)を予定しているのでまる二日たっぷりほしい。こういう日程から逆算した結果、十五日は朝のうちからロケを始めて十六日の夕方までに終え、すぐ東京に帰って本読みにすべりこむことになった。十七日にあいている昼の時間もロケ部分のアフレコをやらねばならない。一行はこの後、別の番組を担当した西村氏のからだがあくのを待ち、十三号台風の足どりからみて十五日の天気も心配される雲行きだったが「天気などかまっちゃおれないよ」とばかり雨もよいの中を車で出発した。油壷着が午前四時。しばらく横になったものの、六時半にはもうみんな起こされた。最悪の場合は台本を雨のシーンに書きかえようと覚悟していたが、天気は回復気味。午前中は三崎ドライブウェーで、主役の船山裕二、影万里江に松本朝夫をまじえ、自動車シーンを数カットとった。ひる前から午後にかけては、小網代湾の別荘とヨット、モーターボートなどを借りての海上撮影だ。ヨットとつり舟がすれ違うシーンがあったが、なにしろ水の上のこととて「足」の自由がきかず、沖へ流されたヨットは、ろ舟に乗ったディレクターの号令も聞こえずで能率がさっぱり上がらない。やっとうまい位置になったと思うとカメラの視界内に漁船が侵入してきたりする。この日一番気の毒だったのは、ブロンズ像窃盗容疑者の一人になる真中陽子だった。彼女はまったくのカナヅチで、海に入ったことなど一度もないというのに、ヨットの上から背の立たない海中へ飛びこませられた。万一(?)に備えて泳ぎのうまいスタッフが六人がかりで周囲にひかえていたが、やっぱり塩水を飲みこんで真っ青になる始末。それでも四十カットをとってこの日のロケは夕方六時に終わった。十六日はまた六時半に起床の号令がかかった。天気はすっかり回復して、七時すぎには自動車を使った撮影に入り、九時、いったん宿舎に帰って全員朝食、十時から小網代湾での二度目の海上ロケ。この日は、前日の夕方かけつけた蜷川チーフディレクターや、作者の桂一郎、作曲担当の泉周二両氏も参加してにぎやかになった。全部をとり終えたのが夕方の六時すぎ。二日間で回したフィルムは二千フィート(一時間分)。まっ赤に日焼けした一行は、八時に油壷をたって十時からの本読みに全員スタジオにすべりこみ――というあわただしいロケの旅だった。【この項、朝日新聞1960/08/18付より引用】」
キー局 KR 放送曜日 放送期間 1960/08/18~1960/08/25
放送時間 20:00-20:30 放送回数 2 回 連続/単発 単発
主な出演 船山 裕二影 万里江大原 譲二田島 義文松本 朝夫真中 陽子
主な脚本 桂  一郎
主な演出 西村、(チーフディレクター:蟻川 茂男蜷川 茂夫…誤り蜷川 茂男…誤り))
局系列 JNN
制作会社 KR
音楽 (作曲担当:泉  周二

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