• 水色
  • 緑
  • 紫
  • オレンジ
  • 赤
  • 小
  • 中
  • 大

ドラマ 詳細データここに人あり(第140回)黒い山の泉(石の山の泉)

土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」をイメージにドラマを制作した。実話に取材した人間ドラマを扱ったオムニバスドラマシリーズ「ここに人あり」(放送期間:1957/04/15~1961/03/30、全176回)の中の一編。ラジオ放送開始時から活躍し、一線を退いていた往年のNHKアナウンサー大羽仙外が番組解説を行ったシリーズでテレビ放送の利便性を生かし、時事的なテーマを取り上げた話も多い。【以上、文:のよりん】「筑豊炭鉱の鉱夫の悲惨な生活を描いた。これは昨年度の文部省芸術選奨を受けた写真家・土門拳氏の近作「筑豊の子どもたち」の写真集をもとに、「秩父困民党」をかいた小説家・西野辰吉がはじめて書きおろしたテレビドラマ。この写真集をみて強いショックをうけたプロデューサーが、黒い羽根運動で一時はもえ上がった炭鉱への関心もうすれかけている現在、悲惨な鉱夫生活に再び目をむけさせるためにドラマ化を企画、一写真家の目を通して筑豊炭鉱の模様をルポタージュする形式を考えた。女性写真家を求めるプロデューサーの頭に、主役として北林谷栄のイメージが浮かび出たそうだ。鉱夫には同じく民芸の宇野重吉を交渉、宇野もこの写真集に強い印象をうけていたので、多忙なスケジュールを都合して出演を快諾した。織田政雄も保護司の端役だが、彼も感激出演組の一人だ。十万の失業者が貧しさと絶望の中に生きているある炭鉱町にカメラマン・高木ちえ子が訪れる。鉱夫・金沢順造(宇野重吉)は「おれたちは見せ物じゃない」と白い目をむける。彼は今ヤクザのもとでたぬき掘りをして細々と暮らしている。妻は福岡に働きに出ている。何度も帰ってこいといってやるが、帰らないところから考えると、まともな商売をしているとも思えない。もだえ苦しむ彼になおも災難がかぶさってきた。娘の百合子が大病にかかったのだ。順造は片目を売って金をつくろうとする。この作品はドラマというより炭鉱の生活者の実情を伝える点に重点をおき、みる人に解決への道を考えさせる一種の社会番組の形をとっている。最後に写真集から三枚の「学校給食」の場面を画面いっぱいに写し出す。これはどんなにこのテレビドラマががんばってみても、この写真以上の真実性を再現できないと考えたので、作者の了解を得て使ったものだという。【この項、朝日新聞1960/05/24付より引用】」
キー局 NHK 放送曜日 放送期間 1960/05/25~1960/05/25
放送時間 21:30-22:00 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 (ここに人あり(第140回))
主な出演 北林 谷栄北林 谷榮)、宇野 重吉賀原 夏子安田 正利大町 文夫奈良岡朋子織田 政雄、(解説:大羽 仙外
主な脚本 西野 辰吉
主な演出 中山 三雄
原作 (原案:土門  拳「筑豊のこどもたち」)
局系列 NHK
制作会社 NHK
音楽 斉藤  登斎藤  登

Tag Cloud

写真集 宇野重吉 北林谷栄 炭鉱 西野辰吉 筑豊炭鉱 鉱夫 考える 筑豊 むける うける イメージ プロデューサー 賀原夏子 失業者 かぶさる 見せ物 みる 実情 強い 帰る 宇野 安田正利 テレビドラマ 了解 出る 都合 百合子 商売 大町文夫

リンクパーツ

直リンク用URL ヘルプ
引用パーツ ヘルプ


インフォメーション

クチコミ

ユーザレビュー

ドラマデータ提供