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ドラマ 詳細データある少女の死

ドラマの中心舞台は、東京近県の小都市、臨海工業地帯に隣接した住宅地の中の有平外科医院。院長の有平完治(小林桂樹)は、昔医師だった父の信作(中村伸郎)の跡を継いで開業している。古い建物に増築し、新しい医療機械を徐々に入れ、看護婦二人、炊事婦1人の他は家族だけという個人病院。家族は妻・久子(奈良岡朋子)、婚約中の長女千尋(伊藤蘭)、医大進学を控え浪人中の長男・健一(佐藤浩市)の五人。妻の久子は家族の悩みごとの相談相手、入院患者の食事の監督、夜は保険診療報酬の請求書作りと心身の休まる暇もない。有平医院の評判はよく、待合室に患者の絶えることはなかった。そんな完治のもとにある日の夕方、十二歳の竹内かおる(牛原千恵)が腹痛を訴えて連れられて来た。かおるは父・昭夫(河原崎長一郎)と母・道子(左時枝)のひとり娘であった。完治は虫垂炎と診断して手術をしたが、その後も痛みは激しくなる一方であった。完治は手術後の一過性の腸閉塞と診断していた。三日目になっても腹痛はおさまらず症状は悪化していった。四日目の再手術の結果、腸捻転とわかった。完治は壊死した部分を切除し、友人中本(日下武史)のいる総合病院に患者を転送して後の処置を依頼した。六日後に開腹手術がなされ、患者の小腸の三分の二が失われた。それから一か月後にかおるは敗血症で死んだ。通夜に行こうとする完治を、久子は誤診の噂を恐れてひきとめた。完治は、初診の際他の疾患を疑わなかったこと、患者の痛みを放置したこと、三時間二〇分に及ぶ二度目の手術を設備もスタッフも不足の病院でやったことの三点を自らの手落ちとしていた。父信作は人間として、〝すまないと思ったら謝る〟ことをすすめた。久子は完治のいう三点はどこの医者にもあることで、誤診ではないといい張った。通夜には供花だけが届けられた。竹内家では約一か月後、地元の法律扶助協会に訴訟の扶助を申請し、医療過誤裁判に経験の深い弁護士・山崎(仲谷昇)が紹介された。山崎から正式な謝罪と約三千万円の賠償という示談を示された完治は裁判にもちこむことにした。約一年後に完治は原告側から和解の相談をもちかけられ、それに応じようと思った。しかし友人の医師・中本から「これは医師全体に関わる事件で、現代の医療制度のもとで、このような場合には医師が責任をとらされては、医者は続けられない。これをはっきりさせるのがお前の義務だ」と言われる。家では久子が狭心症の発作で倒れてしまう。完治は、かおるには心中詫びてはきたが、公(おおやけ)には認めないと、和解を思いとどまった。第一回公判から約二年後、判決が下された。原告の賠償請求額より約七百万円減額して支払えというもので、医療上の過失が一部認定されたのである。健一に頼まれて再証言した看護婦トシ子(吉田日出子)の「手術が軽かったわりに腹水が多かった」という、原告側がかねてから待ち望んでいたことばが大きなきめ手になった。竹内夫妻は裁判には勝ったが完治の謝罪は得られず、保険会社からの賠償金の支払いを受け取るだけという空しさをかみしめていた。完治は控訴はしなかった。完治の弁護士が述べた感想が新聞に「裁判所の判断は一つの見方だが医師に過失責任があったとは考えていない」と記されていた。裁判後の今日も、有平医院には、何事もなかったように相変らず多数の患者たちが出入りし、完治の診療する姿が見られる。【以上、「グラフNHK」(財団法人NHKサービスセンター発行)1981年9月号より引用】「ドラマ人間模様」はじまって以来の高視聴率をあげ、NHKに視聴者から電話や投書が殺到したという。
キー局 NHK GTV 放送曜日 放送期間 1981/06/21~1981/07/12
放送時間 20:50-21:35 放送回数 4 回 連続/単発 連続
番組名 ドラマ人間模様
主な出演 小林 桂樹奈良岡朋子伊藤  蘭河原崎長一郎左  時枝中村 伸郎牛原 千恵佐藤 浩市日下 武史仲谷  昇吉田日出子
主な脚本 柴 英三郎
主な演出 清水  満
局系列 NHK
制作会社 NHK

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