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ドラマ 詳細データ私は貝になりたい

第13回芸術祭賞受賞作品。戦時中に上官の命令で米軍の捕虜を心ならずも殺した男。戦後平和に暮らしていると、突如C級戦犯として逮捕される。ドラマ史に一大金字塔を打ちたてた一作。100分。(一部資料には90分、110分、105分とある)ドラマ史を語る際、「貝以前・貝以後」ということばが一時、使用されたほど、ドラマ史を語る上で外せない重要作。このドラマ以後、テレビドラマは本格的な批評の対象となったと言われる。のちに映画化もされた。前半がVTR、後半が生放送で制作された。KRTはVTRの導入に積極的で、アメリカの世界初のアンペックス社製VTRを大阪テレビ(現・ABCテレビ)に続いて導入し、「東芝日曜劇場」などに投入し、石井ふく子などによる本格的なドラマづくりへの布石とした。全編512カットのうち、あらかじめ、前半181カット・45分をVTRに収録しておき、後半331カット・55分の法廷・絞首台シーンをナマで放送した。ただ、現在のVTRと違って編集機材が不十分であったこと、VTRによるドラマづくりにスタッフが懐疑的であったこと(いわゆる捨てカットの効用がなくなるデメリット)等により、VTR部分でもほとんど通しで収録され、いったんつかえた時点で最初から撮り直したため、VTRを使用した利点はかなり少なかった。また、このドラマは西ドイツでも1961年3月に放送され、海外輸出ドラマ第一号でもある。また本作は1959年に劇場映画化されたが内容的にはテレビ版におよばなかったという。「スター女優などを新たに加えて二時間(テレビは一時間三〇分)の大作映画に生まれかわった「貝」であったが、テレビで受けたあの感動はなく、反響の面でも遠く及ばなかった。それはなぜか。その後のいくつかの比較論にあるように、映画「貝」はまったく意図だおれの、そして空疎な失敗作であった。【この項、佐怒賀三夫著「テレビドラマ史」(1978年、日本放送出版協会刊)より引用】」なお、放送枠は一部資料には22:00-23:30とある。「朝日放送五十年史」によると、本作品は、大阪・朝日放送が、輸入したビデオデッキの研究用として録画していたため、後半の生ドラマ部分も保存され散逸を逃れたという。1959/12/26、土曜15:50~17:30ほか、何度か再放送されている。登場した外国人演技者のうち、ジョージ・ファーネスは実際の東京裁判で重光葵、豊田副武の両被告の弁護人を務めた人物。提供:三洋電機。【参考文献:岡本愛彦著「テレビドラマ演出論 第五回 主として若いディレクター諸君え」(「テレビドラマ」(雑誌、現代芸術協会刊)1960年2月号所収)】
キー局 KR 放送曜日 放送期間 1958/10/31~1958/10/31
放送時間 22:00-23:40 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 サンヨーテレビ劇場
主な出演 フランキー・堺フランキー堺)、佐分利 信(特別出演)、南原 伸二南原 宏治)(特別出演)、十朱 久雄桜 むつ子高田 敏江河野 秋武坂本  武恩田清二郎平山  清ジョージ・ファーネスジョージ・A・ファーネス)(特別出演)、大森 義夫原  保美内藤 武敏佐野 浅夫田中 明夫浅野進治郎清村 耕次小松 方正熊倉 一雄増田 順二垂水 悟郎有馬 是馬里木 三郎里木佐甫良)、伊藤 正次伊藤  克梶  哲也永島  明峰 夕美子峯 夕美子)、安井 奈菜大木 弦介織本 順吉幸田 宗丸神本 貞也鶴田 全夫ハワード・ラーセントマス・マクベイジェームス・ウォレスウォーレン・ミッチェルデイブ・ヒックラードナルド・ウォーレンN・クラークブライアン・ムーアハロルド・モスジェリー・イトウジェリー伊藤)、ジョーン・オガートB・N・リードジョージ・ラウリアジョーン・キャスブローブ三期会七曜会生活劇場土曜会新演8プロ人生派青俳バンビ子鹿
主な脚本 (物語・構成:橋本  忍
主な演出 岡本 愛彦
原作 (題名・遺書:加藤哲太郎
局系列 JNN
制作会社 KR
音楽 土橋 啓二、(演奏:東京テレビオーケストラ
撮影技術 (技術:高橋 和彦
美術 (装置:坂上 健司坂上 建司))(美術進行:服部 展宏)(衣裳:岡田 幸子)(化粧:中村 慶子)(装飾:吉沢  保

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