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ドラマ 詳細データ爆音は消えず

NHKが一回ものの長編テレビ映画として初めて製作した作品が6日午後1時から総合テレビで放送される。堀賢次原作の『爆音は消えず』だ。昨年12月4日に第一放送で紹介した「私は囚人ではない」のテレビ版で、内容は終戦直後の中国人の日本亡命を扱っており、終戦記念日にあやかった番組である。「私は囚人ではない」は堀氏の執筆で放送され反響をよんだ。『爆音は消えず』はこれをテレビ映画向きに加納守氏(NHKテレビ文芸部員)が脚色し、ことしのイタリア賞ドキュメンタリー・ドラマ部門参加候補作として、さる5月14日から撮影が始まった。スタッフには加納氏と館野昌夫プロデューサーの二人が演出者で参加、カメラは足立正吉氏ら三人、照明三人などNHKの部内者ばかり14人で作られた。NHKでは従来『こぐま物語』『夜の鴬』『しかもバスは走っていく』『灰色のシリーズ』の4本のシリーズ物テレビ映画を自主製作している。しかし、これらのスタッフの中には部外者が参加しているので、その意味では『爆音は消えず』が、NHKが自主製作した初めてのテレビ映画といえる。撮影はオールロケで、埼玉県新座町、川越市、伊豆大島飛行場、神奈川県茅ヶ崎海岸、京都金閣寺、同保津川、都内(二カ所)と計8カ所で行なわれた。撮影が終わったのは5月31日。18日間の強行軍だったので徹夜も何回か続き、編集が終わって試写をしたのが6月11日。同14日にはイタリア賞参加作品の部内審査があったが、惜しくも落選してしまった。こんど6日に放送することになったのは、終戦記念日の15日が近いので、それにあやかったというわけ。長さは1時間10分だが、製作費は約140万円もかかっている。【『爆音は消えず』のあらすじ】敗戦後十日目の米子飛行場に、一機の双発機が着陸した。降り立ったのは南京政府の要人だった陳公博氏(久米明)らの一行だった。中国政府から追われ日本に亡命してきたのだ。小川大尉(椎原邦彦)が案内役でついていた。大尉はかくまう場所を捜したところ、高藤村長(大森義夫)が自宅を提供してくれた。大尉と村長は上京して、外務省や陸軍省に救命のための善処をたのんだ。いい顔はされなかったが、京都の金閣寺なら安全だろうということになった。陳氏や夫人(小木宏子)たちに、しばらく静かな日々が続く。住職村上(西山嘉孝)とは何回もゆっくりお互いの国や人間について語ることもできた。陳氏は「中国では日本人というと兵隊しか知らなかった。亡命してきて初めて日本人のヒューマンな面にふれることができうれしい」と述懐する。そのうち中国側が一行を追いかけていることがわかる。迎えの飛行機がやってきた。陳氏は「私だけがさばかれればたくさん」とつれの人たちを制したが、みんな同行、夫人を除く4人は、1946年6月に銃殺刑に処せられた。【以上、朝日新聞1960/08/02付より引用】
キー局 NHK 放送曜日 放送期間 1960/08/06~1960/08/06
放送時間 13:00-14:10 放送回数 1 回 連続/単発 単発
主な出演 久米  明椎原 邦彦大森 義夫小木 宏子西山 嘉孝
主な脚本 (脚色:加納  守
主なプロデューサ 館野 昌夫
主な演出 館野 昌夫加納  守
原作 堀  賢次
局系列 NHK
撮影技術 (カメラ:足立 正吉

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