テレビドラマデータベース
TV DRAMA DATABASE

ドラマセレクション

金曜ドラマ
人間・失格

たとえばぼくが死んだら

作品データ(ドラマ全文検索)

連続12回、TBS 1994/07/08〜1994/9/23 金曜22:00〜22:54放送

制作・著作・TBS

演出・吉田健、吉田秋生、金子与志一
プロデューサー・伊藤一尋
脚本・野島伸司 音楽・千住明
挿入歌・サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」「水曜の朝、午前3時」

技術・中村元、小南朗
カメラ・中村元、小南朗、河野志朗、中澤健、丹野至之、長谷川晃司
照明・高橋寛、林明仁、窪田秀樹、落合一夫、浅田和男、上村和重、河野晋作、堀川由実
美術プロデューサー・丸谷時茂
デザイナー・清水袈裟寿 美術制作・竹島哲昌
 選曲・御園雅也 音楽協力・日音 
プロデューサー補・徳永裕久 デスク・小沢通子
演出補・松原浩、木村政和、藤田修、金子文紀、松原由昌 

出演
赤井英和
桜井幸子、加勢大周、横山めぐみ、荻野目慶子
奥村公延、中丸新将、斉藤洋介、山下容莉枝、山崎一
堂本剛、堂本光一、黒田勇樹
佐藤友紀、伊達昌平、井川比佐志、吉村涼、夏夕介
山村美智子、奥村公延、日向明子、北島道太、国分博
小橋賢児、反田孝幸、柏原収史、三宅健、石井久美子、ト字たかお
山崎友義、生間美紀、藤田一馬、須永慶、森山米次
善家尚史、澤口夏奈子、藤原望都、南風見恵子
大林隆之介、渡辺憲吉、友田由里子、山口晃史、横尾三郎
春延朋也、今井耐介、秋山竜二、谷村 隆之
劇団ひまわり、劇団東俳、芸プロ

本作をめぐる過去コメント

NIFTY-Serve テレビフォーラム【ドラマハウス14】より

01026/01100 GFD01036 日本の夜明け 「人間・失格」について
( 7) 94/09/29 20:23 01014へのコメント コメント数:3

 昨年以降、野島伸司氏がマスコミから集中的な扱いを受けて来ましたが、マスコミ嫌いの本人にとってこの1年あまりはほとんど悪夢に近い日々だったでしょう。交際している女性タレントとのゴシップだけで終わらず、最近では、その自作の作風について、ロクに見聞することなく揶揄されるに至っては本人としても憤懣やるかたない心境ではないでしょうか。彼自身にとっては根拠のない批判に映ったのではないでしょうか。また、批判の根底に自分に対する下世話な羨望・嫉妬を見逃しはしなかったことでしょう。

 そしてそうした言葉の暴力に対して無言で傍観している視聴者に対しても憤りを感じたのではないでしょうか。好奇心を満たす対象さえ見つかれば、それをただただ無言で楽しんでいる…。それを無言で許容してしまっている大衆・視聴者にそら恐ろしさを感じたのではないでしょうか。しかしこれらの批判・揶揄に対して彼は無言でした。
 「ドラマ」1992年2月号の特集「野島伸司の研究」によれば、野島伸司氏は、自作について取材を受けるのが嫌いだといいます。脚本一本で勝負する姿勢をモットーとしていて、テレビに出たり雑誌に出たりするのは嫌いだといいます。

 「人間・失格」は、そうした作者の心境の中で生まれた点に注目すべきではないか。私はそう思います。それがこのドラマを理解するために不可欠である気がするのです。
 あえて深読みを承知でいえば、「人間・失格」はこうした彼自身のメッセージだった。作品だけで勝負するという彼ならではの、反論だったのではないか。
 「人間・失格」を深読みをせずに見ていた頃は私はこのドラマが少し薄っぺらいと感じていました。
 どなたかが触れたように、加勢大周演じる教師や留加の心理も心理学で典型的に語られる症例をなぞっただけ。学校でのいじめのやり方も本で語られるいじめの図式がそのまま映像化されているように思えました。
 ところが、ただ唯一、典型的ないじめの図式を外したものとなっている部分があったのです。教室でのいじめの発生対象は往々にして、自分よりも劣る点を持つものに対していじめが発生することが多い、これは、教育学部で少し聞きかじった私の知る典型的な図式です。ところがこのドラマでは成績トップの男に対する生意気さに反発していじめが始まっているのです。この部分だけは、典型的な図式を外したものとなっています。これは何故か。

 ひょっとしてここに野島伸司の狙いがあったのではないか。いじめの対象は、成績優秀な者に対する羨望・嫉妬から発したものである必要があったのではないか。なぜならいじめられる対象は野島伸司の仮の姿だったのではないか。
 いじめ発生後は、「ゲームだった」と登場人物が回顧するように、視聴者もいじめの過程を「まるでゲームのように」延々と見せつけられて行く。視聴者は不愉快ないじめの場面を延々と見せられる。「いじめを助長する」などといったもっともらしい批判をしながら、実は茶の間にこうした不愉快な風景を持ち込みたくない心理が働いていた部分も少なくないでしょう。そしてさらにいじめを加えている者に対して怒りを感じて行ったのでしょう。自らは安全な場所にいながら…。
 しかし、野島伸司は言いたかったのではないか。「あなた方は日頃、暴力に目をつぶって何も行動していないのではないか」と。野島伸司は、暴力を傍観する立場に視聴者を置かせることによって日頃犯している無意識の罪を感じさせようとしたのではないでしょうか。
 加勢大周は視聴者の日頃の無意識の罪を代弁するキャラクターだった。「僕は見ていただけなんだ」…それは言葉の暴力を受けたとき、野島伸司の目に映った恐ろしい物言わぬ視聴者たちの姿だったのではないでしょうか。

 そして、ついに視聴者は自らを代弁していた加勢大周自身をいけにえにしてしまった。ドラマのストーリー上は恐らく死んだ誠の手が加勢大周を押したのでしょう。しかし、野島伸司の真意は別の深いところにあった。

 野島伸司氏は最初から傑作をものにしようといった野心はなかったのではないでしょうか。むしろ、日頃抑制している自分自身の怒りを発散するために「本気」でぶつけたメッセージだったといえなくないでしょうか。極論すれば、学校のいじめに対して問題提起する気なんてさらさらなかった自分の怒りをひたすらこのドラマにぶつけたのではないでしょうか。
 このドラマが表面上は成功しているとはいい難いのは何よりも作者自身がよく判っているのではないでしょうか。でもそんなことは作者にとってはこの際、別に構わなかったのではないでしょうか。そして、結果としていい作品を作ろうという野心がなかったからこそ、出来上がったこの「人間・失格」には、見る者に迫力が伝わって来る作品に仕上がったのではないか。そのように思えてくるのです。

 最終回、桜井幸子が演説する場面。ここで「愛という名のもとに」の鈴木保奈美に見事にオーバーラップします。長くなるので詳しくは書きませんが。

                         GFD01036 日本の夜明け

※以上は放送終了当時に当サイトの作者、古崎康成が書き込んだネット上の発言です。再掲にあたっては細かい表現、字句の修正にとどめています。

書き込み当時の原文はNIFTY-Serve「テレビドラマフォーラム」内のデータライブラリに保存されています。


無断転載はご遠慮ください。リンクはご自由に。

Copyright Furusaki Yasunari 2001

mailto:furusaki@j.email.ne.jp