テレビドラマデータベース
TV DRAMA DATABASE
| インターネットが繊細なドラマ作家を滅ぼす? テレビドラマデータベース雑談掲示板 2004/08/01 11:26 |
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(古崎康成)
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(市村)
私個人は、全ての書き込みにメールアドレスが必要とするべきだと思います(現実味はありませんが)。素人の批評にもそれなりの批判が帰ってくることを覚悟して書き込みをするべきだと思っています。
2004/08/01 12:45:46 (市村) 一般視聴者は作品の切口を顕微鏡で拡大するような見方(全員が批評家きどりで)をせず、もっと素直にドラマ(や映画)を見るべきでしょう。とにかく書き込みには責任を持つことです。 2004/08/01 12:48:55 (braniff) 例えば、小劇団がアンケートを実施して、観客の批評を受けるように、TVドラマも批評の対象になる時期に来たような気がします。ネットの普及で私井の人が批評に参加できるのは、いい事だとおもいます。しかし、根拠のない暴力的な批判には正直書き手は凹むでしょうね。しかし、根拠がしっかりした批判には、謙虚に受け止め、安易な企画には乗らないようにすると良くなるような気もします。 2004/08/01 15:24:54 (先日の話ですね、アール・ケイ) 批判に傷つき易い作家、というのはネットなどない時代−明治大正昭和、否、江戸期にもいたわけで、一説によると(というかドラマのネタだったりするわけですが)写楽が姿を消したのは彼の独特のスタイルに対してクチ汚い批判が多かったからでは?とも云われていたりするそうですし。ただ、市村さまがお書きのように、批判者の匿名性は守られつつも「責任」というものがもっと自覚されてしかるべきでしょう。かつて新宿のゴールデン街あたりで、映画監督と観客が作品を巡って殴り合いの喧嘩になった、などという直接の身を切るようなアツいぶつかり合いをネット上でも期待したいと「まだ」私は諦めずに思っております。 2004/08/01 19:38:46 (しとろえん) ネットの反応に敏感な演出家ってどれくらいいるんでしょうねえ?難しい発注、納期に答えてアイデアを絞ってきた脚本を台無しにする演出、こういうのには批判はいかないからなあ。事務所批判は書いてあるけど、タレント事務所は批判は聞き流しちゃうものねえ。モノづくりに繊細な神経はある意味監督さんや事務所にももう少し持って欲しいものですねえ。 2004/08/01 19:50:44 (Gershwin Melody) 伴 一彦さんの個人サイトがあって掲示板を読もうとしたら個人情報を登録してパスワード貰わなきゃならないみたいなんだけど、2回も送ってるのになしのつぶて。コメント欄に「いや〜あ先生の書く脚本はスバラシイ、尊敬しています」とでも書かないとダメなのかねえ?さすが大作家。 2004/08/01 21:23:51 (アール・ケイ) それは向こうさんも××を×んでるんじゃないの、GM殿(時節折一部自己規制伏字(笑))。掲示板のパスワード制というのは私ははっきりいって「自殺行為」だと思います。ましてやそこで語られたことは門外不出などと強制するのは傲慢不遜もいいとこですな。ネット上で気分を害するのがお厭なら(これは皮肉抜きでいうのであって、かく申す私だってそう思うことがあるから云うのですが)、きっぱりこのネット世界から足を洗うべきでありましょう。 2004/08/01 23:34:32 (ページ作者) 伴一彦さんのサイトってシナリオ作家ご自身が開設されている個人サイトとしては草分け的存在で、シナリオ自体も積極的に公開されており、寄せられるさまざまな批評にも「そういう見方もある」という寛大な視点をもたれて対応されている「大人の」印象があります。というわけでそれはちょっと意外な話ですね。何かの手違いではないでしょうかね。 2004/08/01 23:35:09 (アール・ケイ) 思わず激しいことを書いてしまいましたが、よほど不愉快なことがあったんでしょうか…。 2004/08/01 23:52:10 (マルメロ) 先日亡くなった脚本家の方はかつて、評論家が誌上に発表した自作品への批評に対し、反論の手紙を評論家個人宛てに送り、それをその評論家に誌上で公表されてしまい(!?)、更にその顛末を脚本家自らも誌上に書き(!!)・・・というやりとりがあり唖然としたのを覚えています。 私は幾つか放送モニターをしたことがあるのですが、それは批評ではなく、思ったこと・感じたことを素直に書くことが求められました。たまに「新作1」に感想を書き込んでいるのですが精神はそのままです。でも・・・頼まれてもいない自主的な意見公表に一体何の意味があるのか、との不安も正直。誤字誤用をはじめとする己の知識不足や理解力・鑑賞力不足を恥ずかしげもなく披露しているに過ぎないのでは?などと。いや基本的にはドラマを楽しみたいだけなんですけど。 2004/08/02 03:15:42 (Berry) 読んでいるとなんだかテレビ業界ってドロドロしていて怖いです。なんだか会社の人間関係や勤務評価を見ているよう…。そのドラマの悪いとこばかり捜して評価を下すのではなくて、良いところ努力したところも沢山見て欲しいという感じがします。全体的に悪いからと言って、ばっさり斬り捨てるような風潮もあるのでしょうか。視聴率が良いとされている作品も見てみると「これが?」と思うこともあります。 2004/08/02 18:36:33 (デコポン) ネットがない場合、視聴者からの意見は手紙という形があるでしょうが、嫌な事が書いてあればくしゃくしゃにして「えいっ!」って捨てちゃえばいくらか気分は晴れるかもしれません。 匿名の書き込みも「的外れだよ」って流すこともある。 ただ、関係者や知識がある人の、説得力ある批判は、効くでしょうね。 私は気に入ったものしか見ない、偏った視聴者なので、マルメロさまのご意見に近いです。 (自分について)よく言われている噂と、悪く言われている噂では、悪い方を聞きたくなる心理ってあるんだろうな・・・。 2004/08/02 18:54:08 (Berry) ごめんなさい、細切れで…。で、続きなんですが、私も作品自体の良し悪しを脚本家一人に押し付けるのはどうかと思います。演出家・プロディーサー・配役など番組全体で負うべきですよね。例えば、ドラマで画面が揺れ揺れになることがありますが、見ていて具合が悪くなるんですよね。あれは脚本に記載されているものなのか?それとも演出が指示しているものなのか?よく判らないんですよね。話がずれますがあれはどこで決めているものなんでしょう? 2004/08/02 19:01:57 (タグが使えないと正直不便だけど我慢します、アール・ケイ) 日本人の自殺率が他国と比べて高いのかどうかは知りませんが、ひとに対して批判したりされたりする(討論の)訓練をほとんど受けてきていない、ということにも問題がありますね。謙譲と本音をあらわにしないことが美徳とされるこの国を、いきなり欧米流のストレートなコミュニケーションが罷り通るネット世界が猛烈な勢いで席巻してきているわけで、精神的に耐え難いストレスを感じているひとも多い(云われるにしろ云う側であれ)、ということなんでしょうね。 2004/08/02 19:15:07 (アール・ケイ) 言葉というものはそもそも一種の暴力たりうるわけですが、これがネットの匿名性と結び付いた場合、単なる一個人の意見がまるで世間のある部分を代表しているかのような錯覚を発言主にもたらしているのではないでしょうか。実名で、あくまでも一人の個人としてはとても云えないようなことでも煽られると書いてしまう。書くことで自分が所属している(と思っている)「共同体」に対してまるで義務を果たしたような達成感と爽快感を覚える。書くこと自体が、ストレス(必ずしも個人的なストレスだけではなく社会に蔓延する不満や不安、鬱積を含む)の解消という目的化してしまい、一人歩きしていく(あのイラク人質事件のときがまさしくそうでした)。野沢尚さんはこのことを身を持って感じ取り、作品にすることでその脅威を克服しようとしたのかもしれません。 2004/08/02 19:28:12 (続けて御免なさい、アール・ケイ) だからいまこそ、「我々」ではなく、「私」、或いは「あなた」、一人の個人という立場にかえって芸術作品に対しても世の中のほかの何かに対しても、率直に向き合うことがとても大切なのではないでしょうか(例えば、マルメロさまがされていることがまさしくそうだと思います)。「私」/「あなた」の感想、思いを書けばよいのです。単なる揚げ足取りをまるで世の中の不正義でも見つけ出したように、「我々」を代表して攻撃を開始する必要はないのですから(ほかに本当に怒るべきことは沢山あるように思います)。 シナリオライターは多くの場合個人(事業主)です。いざというときは誰も護ってくれません。適切な批判に対してはそれを素直に受け止めることは創造者としては当然の義務でありますが、マスコミという大組織に属さない彼らの立場も頭の片隅に忘れずに意識したうえで、時には悪口をいうようにしましょうや。 2004/08/02 19:41:07 (天国のあのひとへ、アール・ケイ) 私だって思わず義憤に駆られて(根が単純バカなもんで(笑))、発作的な書き込みをすることがありますので、あまりひとさまを批判できるタマではありませんが、書き込みをするときはたとえ文章はこんなに下手っぴでも、私の人格というか性格というか個性が多少なりとも匂うような、そういう文章にしようと思って書き込んでおります(というか、自然とそう書いてしまうのですが(笑))。そう思うからこそ、あえて他人には意味もない内輪ネタを意識的に挟み込むようにしているわけで。 「私はただの意見ではありません」「意見が服を着て歩いているわけではありません」 意見や感想や批評やゴタクやウンチクやら駄洒落やらの向こう側に、それを語っている生きた、実在の生身の人間がいます。書き込みの数だけ、人間がいるのです。悲しんだり苦しんだり泣いたり笑ったり愚痴をこぼしたりわめかれたりフザケあったりいじけていたり偽ったりばらしたりしている人間たちが、書き込みの向こう側に存在するのです。単調なPCのヒートとは比較にならない熱い厚い人間たちの複層……(それを描くにも作家の仕事のはず)。 ネットは怖い怖い怖いメディア(以上のもの)ですが、世界中の大勢の人間が瞬時に向き合える素晴らしい手段でもあります。出来るだけ「外部」からの抑圧を招かないよう、どこか自制的でありたいものですね。 2004/08/02 20:05:09 (市村) ↑掲示板の中心で、愛を叫びましたねー(笑)。 2004/08/03 11:49:55 (アール・ケイ) ツッコミありがとさんです(笑)。 2004/08/03 13:00:59 (浜磯) ぜひともヨメハンの前でも「愛」を叫んでおくんなはれ。 2004/08/03 13:23:56 (アール・ケイ) それはもう日常、やってますので。 2004/08/03 15:04:12 (GM、オチはそれかよ) ワイもいっちーの掲示板でエロを叫んでるでしかし。 2004/08/03 23:44:26 (ロムリー) プロとして仕事をする限り、「否」の意見は避けられないものだと思います。それがたとえどんなに理不尽だったり、的外れなものだったりしても、です。掲示板に意見を書いても一般人はお金を貰うということはありません。それは無償の行為です。それなのに書かずには入られない、という衝動に駆られるからこそ書くのです。娯楽というのは嗜好品で、好きな人もいれば嫌いな人もいる。番組プロデューサーやスポンサーの意見は否応なく聞かなくてはなりませんが、インターネットを見るか否かは自分自身で決められることです。従って、素人の意見にいちいち惑わされるような軟な精神しか持ち合わせていないなら、そんなに自分自身の作品に自信が持てないのなら、そういう人は不特定多数の人間に対して何かを発表するのに、適していないとわたしは考えます。 2004/08/03 23:52:30 |
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