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究極のところのつまらない話2

テレビドラマデータベース雑談掲示板 2004/04/10 13:32

 

 でわ。市村さんのリクエストもありましたので新トピいっちゃいますか?

 この件について漠然とした疑問をお持ちの諸兄も少なくなかったようでなんとなくうれしかったりしますわ。

 だから僕の経験を補足しておいたりしますね(笑)

 例えば芝居をみて「心を動かす」瞬間がありますよね。僕はあるときその「心を動かす」根源がどこにあるのか探りたくてその場面を何度もリピートさせたことがあります。で、その結果、驚くべきことに気づいたのです。実は感動した契機はその場面に出ていた端の役者がぼんやりとした表情を浮かべた描写だったようなのです。その場面だけを見ても誰も気づかない、役者自身もそのことを計算して演じていたとはとても思えないようなほとんど偶然のように画面に収まった些細な描写に「心が動かされた」きっかけがどうやらあったようなのです。そして僕自身も見終わったとき、その描写に感動したとは気づきもしていなかった。何度も見返してようやくその描写が「心を動かす」きっかけになっていることに気づいたのです。もちろんその前後関係があるからこそそこで「ドバーン」と感動したのでしょうが…。
 で、そういう風に本当に「人が心を動かす」要因は、既存のドラマ論がとりあげている個所とはまったく別のところにある場合もあるのではないか?と思うようになったのです。これは他にも、画面と画面をつなぐ手法、カメラワークなどにも「人が心を動かす」根本的な法則が潜んでいるように見えるのです。

 ま、そーゆうわけで既存の評論とかを超え、人間にはまだまだ気づかない感動のツボがあるように思うのですよ。で、そこを探求していこうというのが私の思いでもあります。ま、結局は人類の神秘というところにまとめられてしまうのでしょうけどそれだけであきらめていてはとてももったいないところのように思うのです。

 それにしても古今東西。名監督とか名脚本家と呼ばれるひとびと。あるいは芝居人の方々はこういう人「根本原理」を知っていたのでしょうか。それとも職人的な試行錯誤の中から経験則的にそういう描写を導き出していたのでしょうかね。

(古崎康成)

(市村) 人によって感動のツボが違いますよね。『新・いのちの現場から』を二週分見てみましたが、ヒロインが現場復帰する一週目は、日活映画のような自己復活のテーマが感動的でしたが、二週目は私には全く感動はありませんでした。その逆の方もおられるでしょう。 2004/04/10 17:59:38
(市村) 大勢の主役がいる中、脇のほうの人を見て、「まるで自分のようだった」と感動する人もいるでしょうから(他に人にとっては全く判らない)、そう簡単に突き詰められる、解明出来るものでもなさそうですね。 2004/04/10 18:01:31
(涙はアトムも流す、アール・ケイ)
あえてピント外れなことを書きますが、我が駄犬を散歩させていると「犬は笑うか」「犬は何を見て何が嬉しくて笑っているのか」と思うことがあります。
言葉が分からなくても、
目が見えなくなっても、
人種、民族、慣習が違っても、
ヒトはヒトを感動させることが出来る。
感動することが出来る。
たぶんそれが何故なのかは(細かいテクニック論は別として)、永遠に謎のままなんだろうし、そのほうがいいとも思うのです。 2004/04/10 18:55:42
(ページ作者) 自ら脱線しますが、夏目房之介氏の著書に手塚治虫氏のマンガのコマ割りの分析のような評論がありまして「目から鱗」なところがありました。で、思ったんですね。ドラマ評論でも、カットとカットのつながりからどういう意図で両カットがつながっているのか、その描写にどういう深層の効果があるのか、を理論的にキチンとワンカットずつ分析した評論が出来ないものか、そういう話をある席で著名なドラマ評論家とともに単行本編集者に話したことがあるのですが残念ながら適当な執筆者が見つからず、また「売れないだろう」との判断で本の企画自体なくなった経緯があります(笑) 2004/04/10 20:49:09
(sheena) 惜しいな、その本出てたら、私は買いました。音楽の話にリンクしてみます。ビートルズが効果的に用いた手法がサビを頭にもってくる作曲法が説得力を持つのは、最初に言いたい事をいっておいてまた、最後にサビで聞き手に訴求する工夫をしました。やはりドラマでの結論や犯人がわかっていて物語が進行するパターンは多いですよね。カットをわる事で見る側になんとか、自分(製作者)の意図が伝わるよう努力する。ではなぜ、それを見てなぜ、人は心を動かされるのか、これは永遠のテーマ性といえるのではないでしょか。 2004/04/10 21:17:48
(SMAP/V) ページ作者さんと同じような経験は、ボクにもたくさんあります。(^^ゞ 演出に興味を持ったキッカケだって同じようなものですから……。ちなみに、「端の役者のぼんやりとした表情」というのがどこまで偶然だったのか、ちょっと気になります。役者はともかく、演出家の方は明確な意図を持ってやったのかもしれません。 一般的な傾向でいえば、作り手にとって「感動のツボ」というのは企業秘密みたいなものなので、なかなか表には出てきません。秘伝のスープみたいなものです。だから、評論家や視聴者は気づいていないけれど、作り手の方は気がついている「感動のツボ」は、たくさんあるような気がします。 2004/04/11 00:00:12
(ページ作者) 確かにドラマの出来不出来も本当はそういう「作り手の計算」がうまく働いているかどうかで大きく左右されている可能性がありますね。視聴者はドラマを見た瞬間、自分にとってそのドラマが「いいか悪いか」を実は直感的に判断しているわけですが、その判断に実は前述の「作り手の計算」が無意識下で大きく影響している。にもかかわらず、視聴者自身は自覚していないため、もっぱら後づけで出来不出来の原因を「作品のテーマ」とか「時代考証の正確性」だといった、真実とまったく違うところに無理矢理求めていることが結構、多いのかも知れません。真実を語っていない評論がまかりとおっているのかも知れないですね。sheenaさんの出されたようにドラマより音楽のほうがより端的に分かりやすいかも知れないですね。 2004/04/11 01:57:41
((私も強く感じ入るものがありましたが)漱石の孫の理論にも最近は反論がなされていたりします、アール・ケイ)
(大袈裟ではなく)20世紀を代表するテレビドラマだと思っている『花へんろ』を再放送で見返して、今度は『東京ワンダーガール』といういかにも薄っぺらなタイアップドラマを見て、つくづくドラマ業界は成長しとらんなあ(そのドラマを辛うじて成立させていたのが生でも異色ドラマでもへっちゃらな20世紀百戦錬磨のベテラン・オヒョイ藤村さんだったというのもすごく皮肉でした)と思った夜なのであります。
さて、「作り手の計算」というようなことは私も考えることがありますが、それはやはり単に技法的なもの、参考書やら学校やらで教えてもらえれば身につくようなたぐいではないように思うのです。ベタな言い方を許してもらえるなら、作り手側の「人生経験」「思考経歴」、ひいては「民族的に遺伝される記憶(のようなもの)」が必ず作品のなかに滲み出すものだと、20世紀育ちの私にはどうしても思えるのですよ。策士策に溺れる、と申しますが、技巧論は必要条件ではあっても十分条件ではないと(そんなことはよく分かっていらして仰ってるのは分かっているのですが)。 2004/04/11 02:26:47
(アール・ケイ)
その作り手の伝えたい内面をいかに巧く的確に作品のうえで表現して、鑑賞者に伝えることが出来るか、というのがまさに作り手側の技量なわけなのでしょうが、技術論で解析すればするほどなんか本質から遠のいてしまうような気がしてならないんですよねー。
我が手塚治虫の遺した言葉の一つに「芸術家には妥協が必要だ」(『オーケストラがやってきた』に出演した際の発言)があります。完璧主義者であろうとした手塚さんが云った言葉だからこそ凄く重みを感じているのです。私なりに解釈すれば、作り手側の独善ではなく受け手側にちゃんと伝わるように作るということだと思っているのですが。なんか話がかすってばかりいてすみません。 2004/04/11 02:36:53
(しとろえん) 私は究極に完璧主義者ほど、本人が思う完璧な作品に仕上げるスキルが本来満たされないと思います。それに、そういう思い入れはスキル以上に自己作品の評価を甘くもしますしね。我々、見る側はプロセスを見るのではなく、完成品を見るものであるので、「ここまで、完成に近づけた」未完熟作品より、自分の思いを抑えてでもちゃんと完成された作品を見たい物です。芸術的技術はその技術の意味をわかってないと使い方を誤ってしまうものだと思います。まあ、センスは勉強しても磨けない。作り手の自分の力で探して磨いて欲しい。 2004/04/11 06:52:22
(八坂了解、扱い津上) 論点からは外れちゃうかもしれませんが、自分の場合は、「納得性を伴った意外性」に心を動かされます。自分の予想を超えた登場人物の心情を、腑に落ちる形で提示されたとき。フィクションは人間の心情をロジカルな手法で表現するのに適した器で、そのことによって内側の物語と外側の作者の手つきという階層の違うものに同時に感銘を受けることができる。描かれる人間の心情そのものと、それを表現する手法としてのロジックの美しさ。情動の快感と理屈の快感。右脳と左脳の両方に同時に働きかける効果が何かを生むのではないかと。物語上で「理屈の快感」を生む効果的な道具の一つが「伏線」で、「伏線と意外性」を意識的に使いこなしている脚本家には個人的に信頼感を抱く傾向があります。 2004/04/11 15:32:37
(かわはら) 八坂さんの意見に1票。いままでにも何回か書いているのですが、「平成夫婦茶碗」第一シリーズの第5で、満太郎の父親である銀二(いかりや長介)が何気なく撮った写真がラストに「息子の寝顔」としてオチになる展開にうなりました。技をかけらたこともわからず最後に1本とられた感覚を覚えましたね。また、「ロケットボーイズ」の第三話で小林(織田祐二)の「旅行....いきませんか?」との意味不明な台詞から田中(市川染五郎)の父親(竜雷太)の心を解きほぐしてゆく展開にもうなりました。前者は演出の計算の見事さを、後者にはなかなかお目にかかれない優れた作劇のセンスを感じました。まぁこいうエピソードは「たまーに」出会えればいいです。 2004/04/11 19:32:11
(ありえす) ウルトラマリンさんの仰るように コード進行には「和声法」という法則があります。各和音の性質(緊張、開放など)を明らかにし、その和音を連結するとどのように機能するか、効果を生むか。膨大な過去の作品の研究から成立した「和声学」という理論の中でも19世紀に発表されたのが完成形に近く、ソレによって過去&以降の作品を理解するのを飛躍的に進歩(容易に)させたようです。これは数百年に渡って大勢の学者が試論を繰り返した上で成立してます。この場合の法則や理論は後づけです。(もちろん、法則を破って新たな展開に移行します)。ドラマに置いてもそのような理論を成立させるのが可能か否かはドラマ素人の私には・・分かりましぇん。理論の知識があればソレを利用し(計算し)て作曲するし、演奏者もその知識を演奏に反映させます。理論の知識が無くても(ファンの方、殴らないでえ〜!)サザンの桑田さんや美空ひばり嬢は心を打つ曲を書き、演奏をなさる。一流どころはそれを超えた事をなさったりする、それを何とよぶのかはわかりませぬ。 2004/04/12 01:05:53
(アール・ケイ)
うーん、どこまでがライターの仕事でどこからが演出家の仕事で俳優の仕事なのか(音楽に置き換えるなら、作曲家と指揮者、演奏者の関係ということになるのでしょうか)−不可分なのは分かって云っているのですが−整理してかからないと、ごっちゃになってしまいそうです。
いくらシナリオが優れていても演出が杜撰であったりシナリオとマッチしてなかったらとんでもない料理が出来上がるわけだし、その逆の場合は演出家がある程度カバーできるのかもしれないし出来ない場合もある。あと、編集の問題も大きく影響するんですよね。 2004/04/12 01:43:25
(ウルトラマリン) そうですか「和声法」と言うのですか。知ったかぶりをしてしまったことを少し反省しております。さてテレビドラマの場合、ベースの一つは文学だと思っています(もう一つは演劇かな)。そして文学にも起承転結とか伏線 プロット等の約束事があります。しかしこうした約束事が守られていれば名作になるのかと言ったらそれは違うと思います。あくまでも読み手を混乱させないための‘作法’の様な気がします。やはり小説で大事なのはテーマでありキャラ設定でありセリフなのです。実際、大江健三郎や倉橋由美子、サリンジャーの小説を読むと感動よりも混乱の方が先に生じて、なんだかおちょくられた気分になるものです。 2004/04/12 09:30:13
(ウルトラマリン) 今思い出しました。1昨年に放送された私立探偵濱マイクがそれに近かったような‥。 2004/04/12 09:32:25
(のよりん) 現場感覚でいわせてもらえれば仕事の範中はプロジェクトごとに様々。少人数の場合他の職分をカバーする率は自ずと増えるしね。同じように映像の元となるシナリオも書かれるスタイルはいろいろ。詩の様な表現からカメラワークまで詳細に指定するものまでありますねえ。演出の手法も人それぞれです。プランをしっかり立てて固執する人から偶然をねらうだけの人まで様々おります。 2004/04/12 09:45:25
(マルメロ) アール・ケイさまの「人種、民族、慣習が違っても、ヒトはヒトを感動させることが出来る。感動することが出来る。」で、イラン映画『運動靴と赤い金魚』を思い出しました。「読書は人の頭で考えること」とするならば、「映画はスクリーンで追体験すること」かと。自由自在に時空間を操り濃縮され2時間で描かれる人生。拘束される時間や与えられる情報量は同じでも、そこから何をどう得るかは体験者次第なんですよね。単純に好き嫌いといった相性もあるでしょうし。「心を動かされる」ポイントは、セリフでも演技でもなく、私の場合は「間」のような気がします。漠然と、ですが。 2004/04/13 19:31:49
(極道喫茶はじめました(笑)、アール・ケイ)
『運動靴と赤い金魚』、いい映画でしたね。あの映画で泣かん奴ァ「♪人間じゃない〜」(byもりやまなおたろー)
マルメロさまが仰せになってることはよく分かります。間の取りかた、というのは演出の問題でもあるし編集の問題でもあると思います。タイミングが悪いと、まさしく「間が抜けてしまう」わけで。 2004/04/13 20:26:29
(Tちゃん) キーワードは「不意打ち」と「なつかしさ」 2004/04/13 22:01:54
(まと) 昨日、ローカルで「秋の童話」が終わり、夜「物知り一夜漬け」で韓国のドラマについてを見て思ったこと。設定とかは結構特殊だったりするんだけど、その奥の誰もが感じるであろう人間の感情がよく描けてるんじゃないかと思いました。日本のドラマをけなすわけじゃないんだけど、最近そういう最大公約数的な心情を描いたものが少ないような気がします。もちろん「とっぴさ」も必要だろうけど・・。って書いて、なんだ結局Tちゃんさんと言ってること、同じような・・・・。 2004/04/14 10:20:53
(アール・ケイさまも子供心に涙されるのですねー!(て、ご無礼をばm(__)m) マルメロ) 演出と編集による「間」。スローモーションでたっぷりと応援させてくれるクライマックス、静かで淡々としたラストの優しさ、その緩急に心が揺さぶられると言うか。「間」でもっと解り易い例を挙げると『俺たちに明日はない』です。壮絶なラスト、銃撃の前の「一瞬の止め」に息が止まります。 2004/04/15 08:44:40
(はる) 良い作品というのは、もちろんある程度の力量もいりますが、集まったすべての関係者による偶然の産物のような気がします。それに+@大切なのは、3度の飯と睡眠よりも好きってこと??韓国も昔のジャパニメーションも好きっていう情熱があるから輝いているのではないかなでしょうか?昨今流行のJ-POPは計算された売れ筋曲はいっぱいあるけど、心にひびく、長く残る、満足のいくモノはとても少なくなったと思います。だからリメイクばっかやってるんだよ。job ではなく life work して欲しいな。 2004/04/22 01:44:50
(のよりん) 偶然、って要素は確かに大きいです。でも偶然を呼び起こすテクニックもあるんですよ。 2004/04/29 10:36:51


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