テレビドラマデータベース
TV DRAMA DATABASE
| 究極のところのつまらない話 テレビドラマデータベース雑談掲示板 2004/04/08 00:07 |
ドラマや映画に興味を持って結構長くなりますが、最近、ようやく自分が究極に知りたいと思っていることが何か、見えてきました。
それはこんなことです。
「人はなぜ心を動かすのか?」
ね、あまりにも単純で驚きでしょ。でも、私は究極、それが知りたいんだ、ということに気づいてしまったのです。
例えばこのカットとこのカットをつなぐとなぜ人は「感動するのか」。
なぜこの場面でこの台詞を語ることが「涙を呼ぶのか」。
なぜ悲しいお話だと涙を流すのか。そもそも悲しいお話はなぜ「悲しい」のか。これらの根本原理を突き止めたい、切実にそう思います。どんな場面でどんな映像を見せると人は「感動するのか」。
映画でもお芝居でもテレビドラマでも長い年月にわたり、膨大な感想や評論が出てきました。でも究極のところ以上のことを誰も説明できていないのではないでしょうか?
映像演出に関していえば「なぜこの角度でこのカメラワークでこのカット割りでとると」いいドラマに仕上がると言えるのか?
なぜシナリオでこの場面からこの場面に転換するとうまく話が運んでいるように「見える」のか。
役者でいえばなぜこの女優サンはいいのか。なぜこの表情をすると感動するのか。
あるいはGMさんはなぜ「天花」のヒロインに劣情を催すのか(笑)これって本質的には誰も説明出来ていないのではないでしょうか。
これは人間という生き物の根本的な仕組みの領域なのかも知れない。大脳生理学や哲学の領域の知識が必要かも知れません。ただ、この謎を突き止めることは結果的に人間の気持ちをマインドコントロールしたり大衆心理を操作する技術の開発につながっていく面があるのでしょうけどね。
みなさまはいかがお考えですか?
(古崎康成)
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(ページ作者)
で、「木曜のD談」には「映像芸術と芝居芸術の歴史の相克」より上記の解題を期待しているのですが(笑) 2004/04/08 00:13:45 (Gershwin Melody) あのコってちょっと冴えないじゃないですか。いつも泣きそうな顔してるっつーか。ある意味ウザいんだけど、それでも後をついて来そうな一途さに惚れたっつーかなんつーか。テクニックは無くてもなけなしの愛情で包んでくれそうなトコも高得点(笑)。 2004/04/08 00:24:17 (市村) デビュー当時のあの方に似ているっていうのは、そんなあたりからなのかな?(笑)。 2004/04/08 00:53:43 (まと) デビュー当時のあの方って・・・?それはともかく、本題に戻ると、「感情移入」なんて言葉も使われますが、一種のデジャヴ状態なんてことも言えるんではないかと思います。この春地上波での放送が始まった「冬ソナ」なんか、まさにそんな「かつて経験した」または「かつてこういう恋がしたいと自分の中にイメージしていた」ものと合致するものがあったんじゃないかと思います。まだ韓ドラは初心者ですが、昨年のBSの2本を見て思ったのは、人を好きになる切なさをまあよくここまで表せるもんだなあと・・・。もっとも、もっと踏みこんだ恋愛の方が好きな向きには、物足りなかったでしょうね。私なんかは「美しき日々」の中でヒロインが会えない恋人の肖像画を指でなぞるシーンを見て、洋ものの濡れ場よりエロチックな気がしましたけど・・・。 2004/04/08 01:06:19 (剛士) 『HERO』が、私にとってはちゃらいサスペンスだったのに、なぜ一度も30%を切らずに終わったか。視聴率的に確実にコケて実際それ以来連ドラ主演の話が来なくなった和久井の映美ちゃんの『殴る女』がなぜ、この掲示板の1998年ランキングの第1位なのか? 私には今年の月9企画Pが大見得を切って断言した言葉を拝借すれば、朝ドラの原点回帰・王道を地で行ってるはずの『天花』がなぜ、今のところこの掲示板では不評なのか? この掲示板の感想って視聴率ではなく、視聴質にすごい左右していて、それがそのままDVDの売りあげに直結してるもんだから、(『IWGP』『木更津…』『すいか』『彼女たちの時代』ってどれも視聴率は悪かったのに、ここの書き込みは当時凄かったですものネ。ページ作者様の「知りたい」、私も非常に関心があります。 2004/04/08 02:42:51 (剛士) <蛇足>『殴る女』は内容的にも解せんので尚更。『天花』は皆さんのご指摘を拝読しながら、目下検討中。逆に何故、自分はハマっているのか。「恋ではなく愛」のNaに朝っぱら 2004/04/08 03:29:10 (剛士) キュンとしてしまった竹山マジック(敢えて使おう、この言葉)の虜にさっさとなってるだけではないか、と。快技、懐疑、自分会議。 2004/04/08 03:31:05 (Gershwin Melody) きっと恵麻チャンに惚れたのさ。でもオレの女だから手出しちゃダメよ(笑)。 2004/04/08 06:43:57 (アール・ケイ) おお、これはとても深遠な問題を提議されましたね。私もときたまページ作者さまと同じようなことを考えることがあります。 これはですね(ほんとはこの話だけで200字詰め原稿用紙100枚ぐらい書けちゃいそうなのですが(笑))、むろん映画、テレビドラマに限った話ではなくて小説でも演劇でもあてはまるし、フィクションの世界に対してだけではないし、我々の日常のちょっとした感動的出来事なんかにも云えることだし、もっとずっと突き詰めていけば、「何故ひとはひとに恋をするのか」というところまでいってしまいそうです。 ま、「人間が感動するしくみ」についてはさておきまして、ここで取り上げられるべきは「送り手」側の問題だけではなくて、「受け手」=読者、鑑賞者、視聴者の問題でもあるということなんですよ。1つの作品に触れて感動するひともいるしそうでないひともいる。受け手側の人間がいかなる人間なのか。感想を述べる、批評をする、ということは実はその人の思想やら知識だけではなく、いかなる人生を送ってきたかということが露見してしまうというとても恐ろしいことだったりするんですよね。 2004/04/08 10:21:51 (アール・ケイ) だからこそ、自分の内面までさらけ出してまで作品(ドラマ、演劇)に対峙してみせようとするGM氏の覚悟にはいつもエールを送ることを私は厭いません(同調はしないんだけどね)。たとえそれが多少、或いはものすごくお下劣だったとしても(笑)。 2004/04/08 10:36:00 (ありえす) 映像でなく音楽の話で申し訳ないのですが。音楽を聞いた時、過去の記憶と結びつけ、その音楽(音)を「明るい」とか「悲しい」とか感じるんだそうです。(それ以外にも周波数等によりいかにして体が快感を感じるかってのは色々ありますが)。「音だけ」で豊かに想像力を広げて楽しめる人もいれば、音だけで想像力を広げるのが不得手な方もいらっしゃるんだそうで、そういう方々にもCDを買って貰うのに威力を発揮してるのがプロモーションビデオだと言われています。映像(視覚)からインパクトを受け、想像力を広げ楽しむ。その後だとCDの音(聴覚)だけでもそれが蘇って楽しめるんだそうです。美術オンチのアタクシは絵画を見て感動するという経験が非常に乏しく、夏休みの美術の感想文はいつも「美術百科事典」の丸写しでした(笑)。 2004/04/08 13:11:18 (市村) >まとさん …あの方の話はともかく(笑)、新作1掲示板での疑問点?について。『天花』、初回の最初のシーンあたりに「1994年」と出たように思うのですが???。 2004/04/08 15:02:10 (まと) >市村様 ありがとうございます。やっぱり、最初気を抜いて見始めたところが、ネックになっていましたね。今日のじいちゃんの台詞で、大分見当がついてきていました。あ、新作1の方にもレスしなくちゃ・・・。というところでちょっと失礼します。 2004/04/08 23:12:21 (ウルトラマリン) ずいぶんアカデミックなトビですね。単純な言葉で表現するならば、‘作り手と受け手(視聴者)の気持ちや考え方がシンクロした時’と言えば良いのでしょうか。アール・ケイさんも触れているように、これは何もドラマや映画に限りません。音楽でも美術でも料理の世界でもあてはまります。例えば今放送中の「菊亭八百善の人々」の中で、こだわりを持って作られた料理がおそろしく高額であっても、その意味を理解して勘定を払う客の話が出てきます。しかしそのこだわりを理解出来ない人からすれば、‘料理人の自己満足によるぼったくり’にしか見えません。絵画の世界でも似た話はあります。ヴィンセント・バン・ゴッホは生前1枚の絵しか売れませんでしたが、彼の死後再評価されてとんでもない値段がつけられています。つまり当時は誰もその絵に感動しなかった(理解出来なかった)のでしょう。私は今まで様々な掲示板を見てきました。なるほどと唸ってしまう書き込みも目にするのですが、それ以上に表面的な所で留まっている書き込みの方が多い気がします。それは普段見るドラマの本数が少なかったり、本を読む習慣が無かったり、深く考えることが苦手だったりすることに起因しているのかなと思ったりしています。‘じゃあ あんたはどうなんだ’と問われれば、返答に窮してしまいますが‥。 2004/04/09 00:31:23 (麻の字) ページ作者様、私も常日頃不思議に思っていたことなので、このトピを立てて下さっただけで感激モノです。主に音楽についてなのですが…。「感動させる」「快いと感じさせる」メロディラインってあるのだろうか。世でヒットしている曲の大半は自分には響いてこない…のは多くの人間の快感ラインと自分のそれとがズレているためか? ごくたまに、聴いているだけで涙が出そうになる曲に出会うと 「このメロディを作った人は何をしても信じられる」 とまで感じてしまうのは何故か?(上のありえすさんの言葉も興味深いです。私はプロモビデオが邪魔だと感じるタイプです)。 2004/04/09 06:30:33 (Gershwin Melody) いわゆるBSやCSのミュージックビデオを流す番組で洋楽のPVを御覧になるといいと思う。日本製のものとはダンチだから。自分にとっての80年代洋楽はそのPVの映像と共に思い起こされるね…音楽の好みってのは、その人の過ごしてきた生活の中から形成されるもので、全く同じってのは逆にコワい(笑)。ブラックサバスの「パラノイド」と聞きながらいつもヘッドバンギングしてるメタル少女がカラオケであややメドレーを歌いまくるのもまた楽し(笑)。 2004/04/09 06:49:20 (SMAP/V) >ページ作者さん。大変申し上げにくいことなんですが、多くの疑問文が連想ゲームのように、ただ雑然と列挙されているだけのように思えます。問題の所在がどこにあるのか、ボクにはさっぱりわかりません。これらの素朴な疑問が本当に「究極」なのか、という疑問もあります。(失礼があったらご容赦ください)――たとえば、視覚印象の法則を創案・検討することと、その法則の存在理由を問うことは、まったく別種の問題です。 前者は一般的(平均的?)な感性を前提にして、感性と事物の因果関係を考えることです。これに関しては、個人差という問題もありますが、実際に可能なのは分類を細かくすることぐらいであり、分類内での個人差は捨象されます。これに対して、あくまでも個別性にこだわろうとするなら、法則性・客観性を断念して、作品を通して自分を語るというスタイルにならざるをえません。アール・ケイさんが書かれているのはこの立場ですね。 一方、後者の問題は、つきつめれば「なぜ世界(人間)が存在するのか」というのと同質の問題であり、偶然または神の産物だと答えるより他にありません。「偶然」を科学や論理で説明することはできません。もちろん、こうした議論はドラマ論の範疇を超えています。現実には、「右側を上手、左側を下手と呼ぶのは、人間には、心臓のある左側を守ろうとする本能があるからだ」というような映像論もありますが、どこまで信じていいのか疑わしいし、「なぜ心臓が左にあるのか」と問えば、上の問題と同じになってしまいます。 2004/04/09 15:04:24 (アール・ケイ) スマさま、迷路に入ってますぜ。議論のための議論に陥らないようにしてくださいネ(でも議論を進めるプロセスとしては通らないといけない部分なのかもしれませんが)。 2004/04/09 18:16:56 (アール・ケイ) 全くの余談ですが(笑)、「何故、客席側からみて舞台右側を上手(かみて)と呼ぶのか」という疑問なんですけど、これは(舞台側から見てください)「左尊右卑」という考えかたが古来中国・日本にはあるからなんだそうです。王様(皇帝)が太陽の方角、つまり南を向いて立つものであり、太陽が昇ってくる方向、つまり王様から見て左のほうを「陽=上位」、右を「陰=下位」とする考えかたで、左大臣のほうが右大臣より偉いし、お内裏さまとお雛さまもお内裏さまのほうが壇上から見て左(お客のほうからみて右)に位置するよう並べていたわけであります(現在の主流は逆なんですが、昭和改元ごろより昭和天皇・皇后の真影写真(→欧米流の配置)に倣ってお雛さまの飾りかたを左右逆転させたそうです)。否、「右に出るものはいない」「左遷」という言葉もあるじゃないかという反論に対しては、その状態を見つめる外野(傍観者)側から見てのことなんだそうで。私も昔、かみて・しもての区別を覚えさせられましたっけ。 2004/04/09 19:00:32 (無理矢理トリビア、アール・ケイ) …てなことを例によって検索しまくって書き込んだんですが、異説もあるようで(中国でも右を重んじた時代があった、とか…)。 ま、スマヴイさまのご説は直接お聞きしたほうがいいんじゃないかなあ(笑)。私が言っているのは「客観性を無視した個別性」というのとちょっと違うんですよね(というかそういう議論ではないというか(笑))。どんなに客観性を重視しようとしても「自分というファクター、フィルター」からは絶対に逃れられません。そうしようとする試みはつまるところ「自分」を巧妙に隠してしまっているだけじゃないかと思うのですよ。 うーん、私も迷路に入ってしまいそう。「議を云うな」とおかしら殿に叱られるかな、また。 2004/04/09 19:23:42 (しとろえん) 右を上、左を下にという右優先的発送は、右利き優先社会の発想であるように思えます。現在はLEFTYは尊重されますが、なにかと使い勝手が悪い物も多いようです。そういう意味では文字などもかがみ文字にした方がLEFTYには楽のようにも書くのが思えますが。感動そのものは心理学だったりその人の哲学だったりするので、経験分野や深層心理で変わって来るものもあるし、その個人的誤差修正をしなければ、なかなか評価は難しいものであります。自分が好きだという理由だけで感動することもあるわけですから、感動そのものだけでは「個人の感情」でしかないので、その感情を何故にしてどのようにして揺さぶられたかという経緯はすごく重要な気がします。だいたい、他人の批評が批判めいていただけで、感情が抑えきれずについつい反撃を書いてしまうような感動は安っぽいなと思う事はありますねえ。 2004/04/09 19:27:13 (sheena) 「死を前提にして生」という哲学の至上命題が表現の基本にあるように思えます。死ぬこと分かってて、なんで、病気を治すんだとか色々考えちゃいました。終わりが全ての感情を司るとは、恩師の言葉ですが、種の保存のために生きているのなら、せめて生きてるうちは悩み、その答えの行く先に一喜一憂するのが、生を与えられたもののさだめなのかなとも思います。大映版「白い巨塔」を見てやはり医療ドラマが一番根源的な事を問いかけているのだと実感しました。 2004/04/09 19:58:48 (ありえす) PVをレコード会社がせっせと作るきっかけになったと言われている世界的な大ヒット、マイケル・ジャクソンの「スリラー」、この題名を聞いただけで私の頭の中に映像と音声が同時に浮かびます。始めてみた時は衝撃でしたわん。>GM殿。既に「プロモーション」の域を越えたジャンルになってる?とはいえ麻の字さんが仰るようにPVに違和感を感じる時、私の場合は映像と音声が同期じゃない、「こんな口の開け方でこの声は出ないよな〜。」ってのが気になる時。でも「お気に入り」の某グループのクチパク、いやさ、CDと同音源をバックに踊る姿だと、全然気にならない!私の中のフィルターでしょう。ミサ通常文に「父(神)の右に座したもう主(イエス)よ」ってのがありますが信仰心が無い私は何故、右か知らない。宗教曲ってどんなに気持ちを込めて演奏しようと工夫しても、信仰心のある方の演奏とは雲泥の差。それが観客に伝わるし。そのメカニズムはとっても知りたいです。 2004/04/10 00:57:54 (Gershwin Melody) 御存知だとは思うけど、「スリラー」のPVを演出したのは「ケンタッキー・フライド・ムービー」「ブルース・ブラザーズ」とかで知られるジョン・ランディス。そして特殊メイクを担当したのが「スター・ウォーズ」第1作でも有名なリック・ベイカー。二人が直後に再びタッグを組んだ「狼男アメリカン」という映画を見ると正にあの映像の続きが見れるね。 現在も続く「MTV」だけど、80年代にTBSの火曜深夜に放送されてた「ポッパーズMTV」というPVを頭から終わりまで完全放送する番組があったんだけど、司会のピーター・バラカンの毒舌ぶりと選び抜かれたPVの数々が忘れられない。その中ではTHE CARSの「YOU MIGHT THINK(グラマラスな女性の前に恋焦がれるストーカーに扮したボーカルのリック・オケイセクが時には蝿に扮して彼女をつけ回すという設定)」とかPHIL COLLINSの「DON’T LOSE MY NUMBER(フィル・コリンズが新作PVの演出のアイデアを相談していると西部劇風とか「マッドマックス2」風とかが浮んでくるという設定)」やベタだけどa−haの「TAKE ON ME(コーヒーショップで漫画を読んでいる女性に漫画のキャラに扮したボーカルが彼女を漫画の世界に引き込むという設定で最後は映画「アルタード・ステーツ」のモロパクな展開で終了するロトスコープ方式のヤツ)」なんてのは見なきゃイケナイね。 個人的にはTOM PETTYの「DON’T COME AROUND(「不思議の国のアリス」をモチーフに“不思議の国”を彷徨い歩くエプロンドレス姿の女性を導くトム・ペティ扮する“ウサギ”が最後には彼女を捕らえてベッドに縛り付けると何時の間にか彼女の身体はケーキとなり彼は仲間と美味そうに頬張り最後はゲップをして終わりというブラックな展開)」のPVは今でも衝撃的。 2004/04/10 04:06:31 (ウルトラマリン) ますます議論が難解複雑になっているようで…。上の方で(人が感動するのは)作り手と受け手の気持ちや考え方がシンクロした時と書きましたが、では何故シンクロするのでしょうか?おそらく人間は根っこの部分で共通性を持っているからなのでしょう。私は音楽に関しても素人なのですが、以前フジテレビで深夜に放送された番組「音楽の正体」をまとめた本(渡邊健一著 株式会社ヤマハミュージックメディア発行)を持っています。それによると、音楽は実に規制の多い不自由なものだそうで、曲の終わり方は2種類しか無いとか、コード進行は将棋の駒のように進めない方向があるそうです。それでも転調させたりわざと不協和音を入れてみたり変拍子を使ってみたりと作曲者の苦労が偲ばれます。どうしたら人を感動させる曲が作れるのかを突き止めることは人の根っこの部分(快 不快の根拠)を突き止めようとすることと同じなのかもしれません。ここまでは作り手側の話。さて受け手が感動するかしないかは食べ物の好き嫌い(食わず嫌い)のように、自分が過してきた過去に縛られていてそこから脱出出来ない(仕方が分からない)事の方が問題かと。ちなみにPVに関しては、星の数程有る曲の中で振り向いてもらう(認めてもらう)効果はあるようですけど、イメージを固定してしまう(曲を聞く時の想像力を奪ってしまう)デメリットもあるので、私の場合CDを買ってからはなるべく見ない(買わない)方法をとっています。 2004/04/10 09:11:02 (市村) そろそろ新スレッドを立ち上げてください。私が私信を書きますので(笑)。でもGMさん、007シリーズの主題歌のPVって、感心するものがないんですよ。あれはなぜなんだろ?。本編に比べ(当然かも?)手間ひまかかってない感じ。 2004/04/10 10:35:34 (ページ作者) というわけで立ててみましたわ。 2004/04/10 13:34:18 |
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