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どこまで許せる?「偶然」

テレビドラマデータベース雑談掲示板 2002/11/22 23:50

 

 ドラマには「偶然」はつきものなのかも知れませんが、その「偶然」があまりにも「平然と」多用されたりするとついていけない時がありますね。
 「偶然」にもいろんな種類があって、むしろ視聴者が見ていてそれを許してしまうような「偶然」もあります。また、「偶然」の出来事が「必然」の出来事であるかのように感じさせる「偶然」もあります。こういう「偶然」を見ているとむしろ作家の力量を感じることになりますが、大抵の「偶然」はそれを感じた時点で「やはりドラマだなぁ」と思ってしまうマイナス的な要素になります。
 あまりにもそういうマイナス的な「偶然」が多用されたドラマに出会ったりすると作り手が無自覚に「偶然」を使っていることが極めて無神経な行為のように思えることがあります。
 ドラマ作家の一流、二流を区分する要素の一つにこの『「偶然」の扱い方』があるんじゃないかと思うことがあります。やはりドラマ作家は現実に起こりえない事柄が極めて頻繁に起こるテレビドラマの世界をあたかも当たり前の「現実」と思ってはいけないのだと思います。ところが実際には人生経験の少ない書き手が自己の映画やドラマなどの視聴経験を下敷きにドラマを書くため、そういう「偶然」をありえない現実と自覚せずに多用してしまっている脚本家が少なからずいるのではないかと思えてきます。
 昨今の「ドラマ離れ」は目の肥えた視聴者がそういう作り手の無神経な「偶然」の乱用にしらけていることもほんの少し影響しているのではないかとも思えるのです。
 もし再び「ドラマ冬の時代」が来ているのだとしたら冬の間にこういうライターはすべて淘汰されて欲しい、とまで思ってしまいます。

 こういう思いは以前から漠然と感じていたのですが、とりわけ今クールで何本かのドラマでそれを痛烈に感じてしまいます。そしてやはりこれって脚本家によって明らかに「偶然」に対する姿勢の違いが浮き彫りになるんですよね。やはりいい脚本家は「偶然」を自覚して使っています。ダメな脚本家は「偶然」を無自覚に使っているように見えます。
 皆さまはどの程度、こういう「偶然」を許せます?

(古崎康成)

(右京大作) 偶然をご都合主義と言い換えると、たとえば主役が死んでその双子の兄弟が出てきて続編が始まる、という最悪のパターンがありますな。 2002/11/23 00:38:56
(やん) 都合の良い偶然が度重なっていたが、しかーし、それは全て必然だったとラストで判明するというものなら、現実的すぎるために平坦になってしまったドラマより歓迎したいです(笑) でも、いい意味で裏切ってくれるドラマは少ないですねえ。。。ラスト近くで、伏線もなーんにも無い無理矢理な「必然」を持ち出してこられるのが最悪かも。 2002/11/23 01:10:14
(市村) >こういうライターはすべて淘汰されて欲しい …「自分の好きな作品=出来が良い作品」だとする、ひいきの引き倒しをする、それを吹聴するドラマ(映画)ライター&視聴者ごとでお願いします(笑)。 2002/11/23 01:29:48
(Cinnamon) 私自身は細かい事にはあまりこだわらない性質なので多少の事は目をつぶるようにしていますが、それでも許容範囲というものがありますよね。もちろん長所が短所を補って余りあるというならまだしも、そういう「偶然のオンパレード」的なドラマって結局はドラマの内容自体もトホト…なものが多いんですよね。 2002/11/23 10:07:30
(アール・ケイ) 温厚なページ作者さまが憤慨されておられるぐらいだから、私が怒りに感じているのも当然だったんだよなあ…。要はですね、お書きになられている通り、過去の映画やドラマの引用、孫引きでドラマを書いているためですよね。鎌田敏夫さんのようなベテランは、過去の名作から引用しててもその名作の本質を理解したうえで意識的に利用してるわけですよね。ところが最近はそうして「二次利用」されたネタをさらに「三次利用」「四次利用」と、コピーを繰り返しているだけになってきてはいませんでしょうか。コピーするたびにどんどん質が悪くなっていっているわけで…(リメイクが多い大向こうでも似たようなものかもしれませんが)。 2002/11/23 11:43:15
(ページ作者) ドラマ展開上どうしても「偶然」が不可欠な場面ではないところで安易に「偶然」を多用されるのはかないませんね。こういう気になったのは最近見ているオンエア中ドラマ。例えば、三上博史が愛する天海祐希の息子(実は三上の子らしい)の幼稚園を訪れ息子の姿をこっそりかいま見たあと、立ち去ろうとしたところで足下にボールが転がってきます。それはその子のボールだった。ボールを追っかけてきた息子が「あ、おじちゃん!」と三上博史を見つけてしまう。おいおい。なぜそんなうまくおじちゃんのところにボールが転がっていくんだ、とかね。そんなありそうにない「偶然」を無理に使わずもっと単純に陰からかいま見ている三上を息子が目にして出会う展開で十分じゃないだろうか。もっともこれだけならそんなに目くじらをたてるものではないのだけれど、このドラマでは実に数多くの「偶然」が極めて自覚なく使われている形跡があるのです。「偶然」はドラマ展開上やむを得ないとは思うのですが、もう少し「偶然」を使うことに慎重であってほしいということなんですけどね。こういうことを書くと「もっとおおらかにドラマを観ようよ」という声が入るんですけど、どうしてもそれにも限度があるんじゃなかと。 2002/11/23 13:12:02
(ページ作者) 例えば新旧の『白い影』についてですが、新旧とも第1回で、喧嘩で顔面に傷を負った男が病院に運ばれてくるんですけど、新『白い影』ではその男がヒロインの看護婦・竹内結子の昔の友だちという設定に改変されていました。(倉本聰版の旧『白い影』および原作ではその男と病院の者とは当然ながら見ず知らずの関係)まぁ、そんな偶然はないとは言わないけれどメッタにないことなんですけどね。ま、それは許すとしてなにかストーリー展開上、昔の友だちである必要があるのかとその後見ていたけれど特にそういうこともありませんでした。ひょっとしてその後のストーリー展開上、そういう設定にしておけばネタに困ったとき何か時間稼ぎのエピソードを放り込めるだろうという「保険」のためだけに入れておいたのではと思える改変でした。「偶然」をドラマに放り込むことに対する抵抗感が今の作り手にはやや薄くなっているのではと感じた瞬間でした。 2002/11/23 13:51:51
(市村) CX『ホーム&アウェイ』は、なぜだか許せる、偶然オンパレード!(笑)。大真面目におふざけをやっているのが判るからでしょうね。あれで中途半端な作りだと、みんな怒るんじゃないですか?。 2002/11/23 16:04:05
(右京大作) >白い影 うーん、そうですかね? 私は彼がいたことで(役名失念)竹内嬢が中居くんにいっそう傾いた、またロボット的だった中居くんの人間性もかいま見えてなかなかいい狂言回しだった、と解釈しましたが。 2002/11/23 20:44:33
(はる) 私もご都合主義の偶然は嫌いです。でもね、やらせかもしれないけど、法律相談なんか見ると事実は小説よりも奇なりなんて思ったり。それ以前に偶然ばっかりのドラマを私は真面目には見てないような気がします。 2002/11/23 21:45:30
(のんしゃらん) こちらでは、否定的意見の多い(新)白い影ですが、はまった人間としては、擁護。ページ作者さまが、他の作品ではなく、殊更に「白い影」を例として挙げられるのに驚きました。次郎(幼馴染)は、倫子に甘え、親しくしたいのに、彼女が直江に惹かれ、また、自分に非常に冷たい直江に比べ、かばってくれるやさしい小橋も直江に批判的とふんで、そのために、直江の患者である女優をマスコミに売るという行為をしたと理解してました。つまり、倫子の幼馴染で親しいという男の子であったからこそ、倫子の片思いの相手の直江に嫉妬していた。意味があると思ってるのですが。白い影以上の偶然のものは相当あると思うのですが、、そんなに必要のない偶然でしたでしょうか。ただ、ページ作者様が全体としておっしゃるのはよくわかります。 2002/11/24 00:27:39
(ページ作者) 『白い影』に関しては20年近く経てリメイクされたということで世代の違いをみる恰好の事例として出しただけで他意はありません。 2002/11/24 00:44:57
(練馬大根役者) トピズレかもしれませんが、ご都合主義はかなり気にしますね。たとえば『やまとなでしこ』。欧介(堤真一)の渡米のきっかけになった論文は、どうみても二週間くらいで完成させてしまっている。そんなにすぐに出来るのならなぜ昔はあきらめたのか、と突っ込みたくなる。しかもあれほど母の市原悦子の病気を心配していた欧介なのに、NYでの講師のクチが見つかると、病気のことは話題にも上らせないまま、あっさり渡米してしまう。それに市原ママの病気はたしか脳梗塞。このドラマの半年前に小渕首相が同じ病気にかかり、手遅れで亡くなったという記憶がまだ生々しい時期であり、また作品中で母思いという描写をさんざんした後でもあり、あの欧介の行動はいかにもご都合主義という感じがしました。エンドロールのサプライズ結婚パーティに、東十条(東幹久)がいるのにお母さんはいなかったのも不自然。容態が渡米を許さなかったのだとするとなおさら、なぜ欧介は母をおいていったのかと思ってしまう。いくら恋愛第一のラブコメとはいえ、一言フォローの描写があれば、こういう疑問はかなり緩和されるのに。この手の不自然さは他の作品でもよく目につきます。 2002/11/24 02:33:01
(GM、最近硬派な練馬くんの熱弁をふるう姿を見て「ああ、彼は遠いところへ行ってしまったのね」と落胆したのもつかの間、「やまなで」に市原悦子が出ているという新事実に脅威を覚えたの巻(笑)) ありゃ本文が無くなっちゃった(笑)。 2002/11/24 11:03:52
(年齢不詳と呼ばれたい) 「まんてん」で。太陽の塔のとこでおにいちゃんと偶然会うまんてん。その話を聞いた圭助さんの「なんやドラマみたいやな」と言う一言。脚本家のマキノノゾミさんて面白い人みたいですよ。「ご都合主義者で〜す(^-^)」って感じで。 2002/11/24 11:17:49
(ああ、間に合わなかった…。練馬大根役者) ごわっ! 市原さんがアレに出てたらコワいよね(ドンな役だよ)。市毛良枝でした。 2002/11/24 11:19:41
(年齢不詳と呼ばれたい) 確かに「やまなで」に市原悦子さんだと全然違うドラマになりますね^^; 2002/11/24 13:35:00
(アール・ケイ)
♪偶然、偶然、偶然って素晴らしい
病院には知り合いの患者があふれ
刑事の友だちは犯罪者か被害者ばかり
にっくき上司は瞼の父で
愛したあの娘の実家は親の敵
偶然が3度重なればそれは犯罪のにおいと云うけれど
幸せならいいじゃない
幸せならいいじゃない
きっと家政婦は目撃してくれている
幸せならいいじゃん
幸せならいいじゃん
偶然はそのうち奇跡に化ける 2002/11/24 15:58:41
(ページ作者) 私にとっては設定などの点での無理なこじつけ的な「偶然」は許容できることが多く、それは確かに「奇跡」なのかも知れないし「運命的な」出来事なのかも知れません。ですが、先に記した三上博史ドラマのように必然性のない細かいシチュエーションに「偶然」を多用されるとちょっと困ってしまうんですね。最近のシナリオライターは場面単位での描写や細かい台詞がウマイという声を聞きますが、各場面単位で引き立つ描写も全体を通してみると「偶然」が多すぎて現実感のないものになってしまうということでしょうか。昔のように師弟制の中からライターデビューに進むシステムだと時に師匠の長編の一部を任されたりして長編への順応も早いのですが、昨今のように師弟制でなくシナリオコンクールなどを通じたデビューとなるとどうしても短編主体で評価される傾向が強く、それ故、長編に不向きなライターが増えているということなのでしょうか。それにしても「偶然」というものの取り扱いについて、シナリオ学校などではどのように「教育」しているのでしょうかね。ひょっとして各人任せ? 2002/11/24 21:46:13
(Gershwin Melody) 某シナリオ学校では「登場人物に関連性をもたせなさい」と教えるんですな。結果的に「偶然」によって見知らぬ者同士が知り合って関係が作られるという訳。 2002/11/24 23:01:35
(アール・ケイ) 座興ばかりですみません。真面目な話、ドラマのプロットってプロデューサーや制作会社の社員が考えることが多くなって、シナリオライターはほとんどの場合(特に新人は)PやD(ディレクター)の云うがまま云われるママに書いてるだけになってるんじゃないですか。長編なんて書く機会もなく、その場しのぎの偶然の繰り返しになっているのはそのせいでは…。登場する人物とドラマ全体の筋、それに毎回の展開をトータルで見られるひとがいなくなってしまっているような気がします。 2002/11/24 23:35:26
(たく) 「偶然」気になりますね。僕はミステリー読みなので、伏線や設定は過不足無く生かしきるようなものが最高に楽しめます。ページ作者様が気にされるような「そうならないとドラマが展開しない」偶然は気になる。そういうのは必然に見せるのが脚本家の仕事ですよね。三上が気を引くようなことをして子供がかけてくるでいいと思うんですけどね。映画なら偶然の出会い2回目で恋に落ちてくれるから許せますけど、連ドラだと4回くらい偶然出会っちゃうし・・・。 2002/11/25 01:24:49
(のよりん) たとえ偶然であったとしても、偶然を気にする観客にそうとさとられないようにするのがプロの腕ってもんさね。すくなくとも見ている間はね。 2002/11/25 10:12:34
(Tちゃん) この「ドラマ的偶然多用」って問題は、御都合主義とか作り手の怠慢とかではなくて、実は、作り手が面白いと感じるものと視聴者が面白いと感じるものの間に大きな溝があるというのが、問題の本質なのではないでしょうか。あとついでにもうひとつ。テレビドラマをちゃんと通して見てるとこの「御都合主義偶然」ってとても気にかかるんだけど、ドラマを「ブツ切り」に見てるとなるとあまり気にならないのかもしれません。場面場面の繋がりや展開よりも、その一場面のインパクトのほうを求めるドラマ作りが、この偶然という手法を多用させているのではないでしょうか。 2002/11/25 14:32:11
(アール・ケイ) ドラマ作りをマラソンに喩えて語られたのも今は昔、ですかねえ。Tちゃん様に1票。 2002/11/26 13:22:31
(かわはら) ところで「新・愛の嵐」の秀子はなんでああもいいタイミングで猛と光の会話を立ち聞きしてしまうのだ?最後の方ではギャグだと開き直って突っ込みながら見ていましたが、なんだか空しいものを感じたものです。 2002/11/26 18:52:10


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