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| 白い巨塔 (2004/03/21) |
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雑談掲示板でGMさんも触れられているように田宮二郎版の渡辺岳夫の音楽は今も耳に残るほど強烈なイメージを想起させてくれます。単一の分かりやすいイメージがそこに浮かんできます。唐沢寿明版の加古隆の音楽はなにやら荘厳だけど深刻で重苦しい、統一されたイメージをひとことで想起出来ない…。でも悪くない。
新旧二つのドラマの肌合いの違いがそのまま音楽のイメージの違いに結びついているような気がします。
こういうと何ですが田宮二郎版は善悪がかなり明瞭に区分けされていたような気がします。それは恐らく70年代までの分かりやすい価値観がそこに存在していたからかも知れません。田宮二郎のテレビ版財前は他人が成り代わることのできないある種、スーパーマンのような天才外科医だった。天才ゆえの悲哀という描写は原作の基本イメージに近いと思うけど、具体的な大阪を彷彿させる作りといい実録風な作りだった。
今回の唐沢の財前は、純粋に医療を志し象牙の塔を目指した人間が権力闘争の中でいつのまにか異質な人間になってしまったところに重点がおかれていたようにみえます。前半部、札束攻勢で教授選に挑もうとしたとき、一瞬、唐沢財前の顔が曇ったのが忘れられない。「自分は目指してきたところと違うところにきている」と気づいた表情。でも後戻り出来ない。唐沢版はスーパーマンではない財前だからこそ「人は誰でも財前になってしまう場合がある」という怖さが描けていたような気がするんですけど。それは医療の世界だけでなく組織あるところに存在する問題。初心を忘れずに登りつめることの難しさ。
財前=悪、里見=善という、これまで小説・映画・ドラマで定着していた明瞭区分が今回かなり意図的に弱められていたのも現在の価値観がそんな単純な図式で成り立っていないことを反映しているのでしょうかね。大阪という特定の場所にローカライズされた要素も極力削ぎ落とし、普遍的な面で象牙の塔に潜む怖さが描かれていたように思えるのですがね。タイトルバック、田宮版が具体的な大学の建物の外観を使っていたのと比べ今回はCGの塔。この違いが両作の違いにもつながっていますね。
普通、あれほど強烈な田宮版『白い巨塔』があればそのイメージを打ち崩すのは並大抵ではないはずなのにそれとは違うイメージを提起し得たこと、それだけでもスゴイことだとおもったりします。
田宮二郎版も見て原作も読んだ人間としてみても今回の『白い巨塔』はかなりいいところまで勝負していると思いますけどね。場合によっては10年後には今回の唐沢版が『白い巨塔』映像化のスタンダードに収まってしまっているかも知れません。(初出:2004/03/21、web「テレビドラマデータベース」新作掲示板)
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