• 水色
  • 緑
  • 紫
  • オレンジ
  • 赤
  • 小
  • 中
  • 大

ドラマ 詳細データ坂の多い町

海の見えるある高台、坂の多いこの町の住民たちはお人好しなのか迷信深いとでもいうのかその大半が如来教という今はやりの新興宗教に凝っていた。魚熊こと魚屋の熊七とその女房など最たるものだろう。信心に凝った挙げ句、母親であるおせんが貯めた虎の子の貯金を無断でおろし献金してしまう。おせんはそれを恨んで納屋で首を吊り死んでしまった。如来教などと鼻であしらってきた木村堂パン店の主人(坂本武)もこの町に乗り込んできた如来の大執事・永某と名乗る4人の一味に騙られ賭事の好きなのにつけこまれごっそり大金を奪われてしまった。放送時の批評を引用する。「坂の多いその町の住民の大半が如来教という新興宗教に凝っている。魚屋の熊七とその女房も熱心で母親の貯金も献金してしまう。木村堂というパン屋さんも如来教の執事と4人の悪党にだまされて金を奪われる、という人間の欲の皮が生んだ悲喜劇である。阿川弘之らしいあくの強い作品であるが、どうも見ていて話の筋がわかりにくい。小説家にテレビ台本を書かすと、筋とは関係のない傍系のストーリーを入れたがるのはこの作者だけではないようだ。警察官の女房や叩き売りのシーンがドラマとはまったく無関係に長々と、何度も出るのだが、これがとうとう何の意味かわからずじまいであった。もちろん、どんなドラマもストレートに筋をはこぶのはよくないし、サブ・プロットがあった方が面白いが、これはサブ・プロットとは云えず、何ともひどく安定のないドラマであった。地方局が、このごろ、いわゆる流行作家をさかんに持ち出すのが流行のようであるが、案外つまらないのが多く、それを肩を怒らした感じの演出で見せられるのは不愉快だという声をきく折柄、これはその好見本だったと評している人もいる。わたくしは、このやりにくい脚本を、あそこまで画にして見せた山東迪彦の努力は買いたいし、如来さまになった役者の演技や法廷の場など、面白いシーンが印象に残った。しかし、脚本が拙かった。警察官の女房や叩き売りはバッサリ削ってよかったのではないかと思う。それから、この台本に限らず、このごろ、ドラマをバッサリ切って結末のない、救いようのない話で終るという構成のものが多いが、小説ならともかくテレビは、家庭の茶の間でみているもので、納得の行く結末、家族の者みんなにわかる心あたたまるドラマが必要ではないかとわたくしは思っている。わからぬドラマ、バッキリと非情に断ち切ったドラマ、結論の下しようのない「投げ出した」ドラマは、テレビ的ではないとわたくしは思っているが、どうであろうか。【この項、文:並河亮(「テレビドラマ」(現代芸術協会刊)1961年2月号より引用)】」なお、この並河亮の批評では脚本も阿川弘之が書いているかのような誤謬がみられる。【参考資料:書籍「タレント名鑑 No.2」(1963/06/30発行、編集:日本タレントクラブ、発行:芸能春秋社)[増岡弘の項]】
キー局 CBC 放送曜日 放送期間 1960/12/04~1960/12/04
放送時間 21:30-22:30 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 東芝日曜劇場(第210回)
主な出演 坂本  武武藤 英司松村 達雄七尾 伶子七尾 玲子)、小笠原章二郎堺  駿二伊藤 友乃近衛 敏明柳   有増岡  弘
主な脚本 沼田 幸二
主な演出 山東 迪彦
原作 阿川 弘之
局系列 JNN
制作会社 CBC

Tag Cloud

阿川弘之 如来教 坂本武 凝る 女房 ドラマ 叩き売り サブ・プロット 献金 新興宗教 多い わかる 武藤英司 批評 沼田幸二 貯金 大半 魚屋 脚本 警察官 おせん シーン 思う 結末 執事・永某 バッキリ 面白い 奪う 見せる 松村達雄

リンクパーツ

直リンク用URL ヘルプ
引用パーツ ヘルプ


インフォメーション

クチコミ

ユーザレビュー

ドラマデータ提供