• 水色
  • 緑
  • 紫
  • オレンジ
  • 赤
  • 小
  • 中
  • 大

ドラマ 詳細データオムニバス・ドラマ「女」

淡島千景が主演する3話の短編から構成されたドラマ。【以上、文:のよりん】「三部作のオムニバス・ドラマ。三編とも、淡島千景が主演して、女の弱さや、貧しさ、がめつさなどを多角的に掘り下げる。第一話は、二号生活をしているインテリ女性の微妙な心理。第二話は大阪の未亡人同士の、庶民的な友情、第三話は、女芸人の愛欲の生態を描いたもの。【この項、朝日新聞1960/07/01付より引用】」「目新しい女心でもなく、剛直になりすぎた描写にも難点はあるが、散漫になりがちなオムニバス形式をガッチリまとめあげている。一時間半もの長丁場をもたせているのはほめられてよい。【この項、朝日新聞1960/07/05付「週間モニター」より引用】」提供:三洋電機。「テレビドラマ」(現代芸術協会刊)1960/7月号にシナリオが掲載されている。「一人の女優(淡島千景)が三通りの女を演じわけるという趣向に心をひかれて見たのだが、内容的にも淡島のために書かれたと思われるような作品であった。三人の女は、生活環境も性格も異なってはいるが、女の弱さ、もろさという共通性をもっている。恋する男をあきらめて絶望する女(第一話)、亡夫の思い出にのみ生き甲斐を感じている女(第二話)、芸に打ち込むことで希望を見出す女(第三話)。三人三様の生き方には建設的な力強さや生きる喜びは感じられない。女心の哀れさだけが印象に残る。三人の内では第二話の単純な女心に一番いとしさを覚えるが、この女からはギリギリの生活の中で女が一人生きることの苦しみを感じることは出来ない。彼女には暗いかげりも悲しみもない。抱き合って泣く淡島と森光子との姿には、これからも同じように喧嘩をしあい慰めあって生きてゆくことであろうという感じがするだけである。ドラマとしてまとまっていたのも第二話であった。第一・三話の女を演じ分けることはむつかしいのだろうが、淡島は全く異なったタイプの女を、森との共演で生き生きと演じていた。飯田・殿山の老夫婦のユーモアと、大阪弁のニュアンスも効果的であった。東京の下町という設定ではこれほどまでに強烈な女心をさらけ出すことは不可能であり、そらぞらしいものになってしまったことであろう。第一話は内容的にもっと掘下げれば面白くなったかも知れない。孤独で不幸な女が幸福な結婚生活をしている男に羨望と嫉妬を感じながらもあきらめるようになるという心境の推移には一番複雑な女心が感じられる。第三話は、登場人物が多かったために説明不足やカット転換の不手際が目立ちまとまりを欠いてしまったきらいがあった。結局第一・二話には、テレビドラマというワクの中にとじこめられ、せばめられた物足りなさが感じられたということになる。主人公として描かれた女たちに対する作者の愛情はうかがえるが、新しい世代の女に対しては打算的であり享楽的であると傍観しているだけで一片の同情も感じられなかった。彼女たちは主人公の性格を強調するための存在であった。第二話で殿山老人が「二人のような女をなくすのだ政治だ」と言うがむしろ第三話のサリーのような女こそ政治の貧困の産物であり、同情されていい存在だったのではなかろうか。【以上、文:瀬川佳江(「テレビドラマ」(現代芸術協会刊)1960/8-9合併号より引用)】
キー局 KR 放送曜日 放送期間 1960/07/01~1960/07/01
放送時間 22:00-23:30 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 サンヨーテレビ劇場
主な出演 淡島 千景南原 宏治森  光子殿山 泰司飯田 蝶子北川 町子野村 浩三尾棹 一浩野村 明司)、根岸 明美梅若 正二梅若 正義)、橋爪 秀雄沢村国太郎三島  謙磯野 秋雄
主な脚本 (作:八住 利雄
主な演出 岡本 愛彦
局系列 JNN

Tag Cloud

淡島千景 女心 感じる 淡島 南原宏治 第一 政治 第一話 同情 あきらめる 弱い 演じる 生きる 異なる 性格 森光子 主演 打算的 存在 物足りない 現代芸術協会刊 主人公 強調 テレビドラマ 貧困 もろさ わける 結婚生活 岡本愛彦 なくす

リンクパーツ

直リンク用URL ヘルプ
引用パーツ ヘルプ


インフォメーション

クチコミ

ユーザレビュー

ドラマデータ提供