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ドラマ 詳細データ大阪野郎(第一部「ごてぼん」)

バイタリティあふれる浪花男の心意気をドヤ街を舞台に、痛快に描く根性もの。宝塚映画出身の荻野慶人が手がけたヒット番組。荻野のテレビ移籍に協力しようと主演の中村扇雀・扇千景夫妻をはじめ宝塚映画での常連出演者(淡島千景、浪花千栄子、万代峯子)が出演を快諾した。1961年には本作を下敷きに映画化もされた。宝塚映画から讀賣テレビに移籍した荻野慶人の代表作といえる作品だが制作時は苦労の連続だったという。「希望を持ってテレビ界に飛び込んだものの、初期のテレビ界は全盛の映画に比較すると「月とスッポン」ほどの差があった。ドラマを作るにしても、まず役者は揃わない、映画人のテレビ出演など考えられなかった時代だ。三十分のドラマはカットなしの生本番、生放送である。ワンカット、ワンカットで撮影し、作り上げていく映画と大違いの作業に荻野は戸惑ったものである。荻野の代表作ともいえる『大阪野郎』の放送の時であった。彼が探してきた個性の強い悪役の天王寺虎之助という性格俳優がレギュラーで出演していた。彼の役柄は敗戦後のブラックマーケットに暗躍する極悪非道の敵役。ある回のラストシーン近くで、せりふを忘れた天王寺、一瞬呆然とした挙句に照れ臭そうにニコリと笑ってしまったのである。生放送ではないにしても、撮り直しということになるとファーストシーンから全部やり直すことになる。だが、予算面を考えてもそれは不可能なことだ。苦境に立たされた荻野が考えたことは、それは次回から彼の役の設定はすべてを変えるということであった。これならば決定的なミスとはならない。早速、シナリオライターと相談した。その結果、次回から天王寺の役柄を極悪非道は仮の姿、実は根っからの善玉と性格設定を変更してしまったのである。今にして思えばずいぶんと無茶な話だが、草創期のテレビ界にはたくさんあった失敗談の一つなのである。このおかげで、下積みの長かった敵役専門の天王寺が大阪もののドラマの人気脇役スターになったのだから運とは不思議なものである。【この項、伊東弘祐著「ブラウン管の仕掛人たち」(1983年、日之出出版刊)より引用】」なお、2003年に刊行された志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(日本放送出版協会刊)によれば、演出の荻野慶人は「(同じ宝塚映画で活躍していた)同い年の藤本義一のところに相談に行ったが、藤本は多忙きわまりなく、日本テレビでの研修でドラマ制作のアドバイザーだった若尾初男プロデューサーの紹介で知り合ったシナリオライターの椎名竜治と組んで、1960年『大阪野郎』の演出を受け持った」と記述されており、本作に藤本義一は脚本として関与していない可能性が高い。(一時期、当データベースは本作の脚本を藤本義一と椎名竜治の連名で明記していた時期があり、その時期に雑誌「上方芸能」(2013年6月号)が「藤本義一の仕事」の特集で藤本義一の年譜を作成、掲載。そのリストに本作が藤本義一作品として掲載されてしまった。その後、このリストがネット上に転用されて藤本義一作品リストとなっている)本作に引きつづき、第二部「原色の街」が放送された。一部資料では放送開始を1959/04/05と記載しているが誤り。提供:七ふく製薬。【参考文献:「わが青春の宝塚映画 宝塚映画製作所・宝塚映像株式会社作品譜」(高野昭二著、2010/11/01宝塚映画製作所OB会有志刊)、志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(2003/03/30発行、日本放送出版協会刊)、伊東弘祐著「ブラウン管の仕掛人たち」(1983年、日之出出版刊)】
キー局 YTV 放送曜日 放送期間 1960/04/05~1961/09/26
放送時間 22:30-23:15 放送回数 26 回 連続/単発 連続
主な出演 中村 扇雀2代目)(中村鴈治郎3代目)、坂田藤十郎4代目))、扇  千景入川 保則遠藤太津朗伊吹友木子江並  隆松居 茂美海老江 寛園 佳也子淡島 千景浪花千栄子浪花千榮子)、
主な脚本 椎名 竜治椎名 竜二
主な演出 荻野 慶人
局系列 NNN
制作会社 YTV
主題歌 フランク永井「大阪野郎」(作詞:中沢 昭二、作曲:斎藤  超
HP

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