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ドラマ 詳細データ茶羽織

ミヤコ蝶々のテレビドラマ初主演作。主演のミヤコ蝶々は本作の苦い記憶を語っている。「テレビ出演には悲しい思い出が重なっている。私が初めて主演したテレビドラマは、1958年1月19日の午後8時から1時間放送したNHKの『茶羽織』だった。数字が苦手な私が、これだけ詳しく覚えているのは、2日前の夜に父が脳溢血で倒れたからだ。みんなそろって正月を祝った時、父は私の初主演を喜んで、「どんなに忙しくても見なくては」と言っていた。父が自分の家で倒れた日、電話があって飛んで行くと、こたつでうつ伏せになり、いびきをかいていた。すぐ病院に運んだが意識は戻らなかった。私は心配で心配で自信をなくしかけた。だが、父は小さいころから私に口癖のように教えていた。「芸人は舞台のためには、親の死に目にも会えないと言われている。それくらい責任感を持たなければ良い芸人にはなれないよ」と。父が言っていたのはこの日のことなのかと思い、翌日のけいこに出かけた。終わるとその足で病院に駆け戻ったが、前にもまして高いいびきのまま。本番の19日、けいこのため、朝の10時過ぎにNHKに入った。メイクの人まで私を気遣ってくれた。たとえば病院を思い出させる白衣を着ないとか。いよいよ生放送の本番という時、私はもう泣き顔ではなかった。一人の芸人だった。本番が終わってメイク室に戻る途中、私と雄二さんは、「とにかく病院へ」と、待っていた車に押し込まれた。いっぺんに緊張が解け、車の中でワッと泣き伏した。衣装も化粧もそのままで病院に走り込んだが、父の顔にはすでに白い布。そっと布を取ると、静かで安らかな父の顔に、「ご苦労さん、よくやったね」と言っているようだった。義母とけんかしながら私を育ててくれ、私の駆け落ち騒ぎに身を削り、「ヒロポン」で苦しんだ私を包んでくれた父。その時々の父の姿がまぶたに浮かんだ。どの顔も優しく温かく、私を見守っていた。冷たくなった父にすがりついて、また泣いた。【この項、文:ミヤコ蝶々(「私の履歴書 女優の運命」(2006/12/01初版発行、日経ビジネス文庫刊)より引用)】」【データ協力:のよりん】【参考文献:webサイト「NHKクロニクル」(2021/04/12参照、http://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/)】
キー局 NHK 放送曜日 放送期間 1958/01/19~1958/01/19
放送時間 20:00-21:00 放送回数 1 回 連続/単発 単発
番組名 お好み日曜座
主な出演 ミヤコ蝶々南都 雄二柿木汰嘉子、(司会:藤倉 修一
主な脚本 (作:香住 春吾
主な演出 荒木  順
局系列 NHK
制作会社 NHK(大阪放送局)
音楽 白木 義信

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